明慧法会|時間が大切なので心を込めて人を救う
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文/山東省の大法弟子 梅香

 【明慧日本2020年9月12日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は今年(訳注:2019年)41歳になる女性大法弟子です。16回中国大陸の大法弟子の法会(訳注:明慧法会)の殊勝で荘厳な日を借りて、自分の最近の数年間、師に手伝い法を正し衆生を救い済度する中での修煉体験を書き、師父にご報告いたします! また同修の皆さんと交流します。

 一、法輪功の資料を配る中で恐れる心を修めて取り除く

 私は1999年の春に修煉に入りました。迫害発生後、私はすぐに人を救う道に溶け込み、真相を伝え始めたばかりの頃はほとんどが資料を配るという形式であり、その時は邪悪要素が多く、恐れる心も比較的重かったのです。資料を配る過程の中で、ずっと正念を発しましたが、心の中ではずっと張りつめており、夜に人に会うと、向き合うこともせず、いつも逃げ隠れ、人がいなくなってから、再び配りに出てきました。ある村では夜にいつも宿直が見張りに立っており、ある時は人に見つかり、私は急いで走り、見張りの人たちは私たちが何をしていたのかすら知らず、後ろを追いかけてきました。しかしどんな難であろうと、人はやはり救わなければならず、資料も配らなければなりませんでした。人を救おうという私の心を師父がご覧になり、何度も夢の中で私を悟らせ、励ましてくださいました。

 ある時夜中に、私はある村にあまねく資料を配りました。夢の中で師父は資料を配った村を私に見せてくださり、空はもうすぐ明るくなり、夜明け前の暗闇に、太陽が見えてきました。私はさらに自信を持ちました。

 その頃子供は小さく、私は子供を抱きながら配り、時には門の上から資料を放り、子供は何度も見てきたので、小さな手を伸ばし、子供も資料をつかんで門の上から放りました。時には集合住宅の通路を走り、私は子供を入り口の下に置き、「どこにも行かないで、ここで待ってて、お母さんは上に上がってすぐに下りてくるから」と言いました。子供は言うことを聞いて階下に立ちながら私がおりてくるのを持っていました。時には子供を抱いて2階に行き、抱えきれず、子供を2階で待たせました。私はふうふう言いながら最上階に走り、またふうふう言いながら駆け下り、子供を抱いて出て行きました。人に会ってもやはり私たちが親戚回りをしているようだと勘違いし、目立ちませんでした。

 時には安逸になり、人を救い資料を配るのを怠け、師父は何度も夢の中で人類の大淘汰の情景を私にお見せになり、時には大きな火山の爆発で、空一面の隕石が落下し、あたりに逃げる人々を襲い、人々はパニックに陥り、頭を抱えて泣き叫びながらあたりを走り回り、その時は人が死ぬのはとても簡単で、街中で人が死んでいました。ある時は大きな津波、ある時は土砂崩れでした。非常に恐ろしく、私は夢の中で慌てて人々に向かって大声で、急いで「法輪大法は素晴らしい! 早く脱党して安全を守ってください!」と念じました。

 二、全体で協力して農村の人々を救い済度する

 師父は「衆生は皆、救われるのを待っており、このことに関して、私は非常に明確に皆さんに教えますが、大法弟子が彼らを救わなければ、世界のどの隅にいても、皆さんが救わなければ、彼らには希望がありません」[1]と説かれました。

 2012年、私は同修のZさんとオートバイに乗って真相を伝え人を救うために地方に行きました。時には冬の午後は人々はみな日向ぼっこに出て、夏にはカードゲームをする人たちがおり、東側に一群れおり、西側に一群れの人々がいました。私たちは人々の前までオートバイで行き、よい本をプレゼントすると言って配りながら、人々に真相を伝え、人々が救われることを望み、ほとんどの人が救われることを望みました。冬には大法の真相カレンダーがあり「新年のカレンダーを配ります」と言うと、人々が奪うように取っていきました。私は「つかまないでください、一人一つです、大法が素晴らしいと覚えてください『三退』すれば平安が保たれます」と言いました。私はZさんと協力し、私が前方で配り、同修は後ろで真相を伝え、基本的に真相はほとんど伝わり、三退しました。一人が三退するとほとんどの人がみな一緒に三退しました。私たちは落ち着き、人々も恐れていませんでした。

 真相を伝える中で感動する多くの出来事に出会い、人々は真相がわかると私たちにリンゴをくれる人や、サツマイモをくれる人がおり、さらに私たちに残って食事をするように言う人がおり、私たちにお金をくれようとする人もいました。このような尊い生命を見て、私は「師父がなぜ何度も私たちに人を救うように、人を救うようにといわれるのか、なぜ法を正す時期の最後が延ばされてきたのか」と感じました。

 もちろん望まない人にも出会うことがあり、私たちを侮辱する人、さらに通報しようとする人がいました。私たちは人々との関係を正し、侮辱する人や通報しようとする人たちはただ虚言に毒害された生命だと考え、侮辱する人や通報しようとする人たちをかわいそうに思いました。

 時には私は同修のMさんと協力して真相を伝えに出て行くことがあり、この同修は法に則って修めているため堂々としており、何ものも恐れないことを私は賞賛しました。Mさんは人々に会うと、上品に愉快そうに「お姉さん」とか「おじさん」などと声をかけ人々にあいさつし「よい本をプレゼントしますから読んでみてください、大法の真相を理解し、法を正す形勢について理解し、すぐに三退すれば平安が保たれます」とあいさつしました。あのように堂々として、人々を救いたい誠実な心は、迫害を忘れ、人々が救われることだけを喜んでいました。

 同修のZさんも法に則って修めているため何ものも恐れず無私であるので私はとても敬服しています。ある時、私たち数人の同修は昼間に車を運転して資料を配りに農村に向かいました。私たちは東西南北に分かれて配り、縁のある人に会えばその場で縁のある人たちに真相を伝え、真相を伝え終わり三退したら最後に縁のある人たちに定期刊行物を渡しました。最終的にほとんど配り終え、同修たちが次々と車に戻ってきた時、ある村民が携帯電話を手にして私たちの車のナンバープレートの写真を撮っていることに気づき、運転手の同修は少し慌て「まだ車に戻ってない同修に早く電話をかけて、早く戻るように言ってください!」と言いました。Zさんは「行かないでください、彼に真相を伝えます」と言いました。そう言いながら車を降り、まっすぐその人の前まで歩いて行って「お兄さん、あなたはたった今私たちの車のナンバープレートの写真を撮りましたか? 私たちはこの場所の人々を救い済度するために来ており、ここの人々に福を贈り、人助けをするために来ました。法輪功は人を善に向かわせ、江沢民は迫害していますが、天理は許さず、真相がわかれば誰でも救われ、真相を知らなければ誰であろうと淘汰されます。あなたの家族がこの場所に住んでいることを私は知っています」と言いました。その人は慌てて「いいえ、撮っていません」と言いました。そう言いながら携帯電話を開いて同修に見せました。同修は「私はあなたを知っており、私たちが大丈夫であればいいですが、もし何かあれば私はあなたを探すことができます」と言いました。その人は再び自分が写真を撮っていないことを強調しました。同修は車に戻り状況を私たちに説明して、やっとみんな安心しました。

 昼間真相を多く伝え、出会った状況も多く、たとえ人に出会っても堂々と相対することができ、夜再び資料を配ってもそんなに緊張しませんでした。特にここ数年、法を正す進展が前に向かって推進されるにしたがって、邪悪要素がだんだん少なくなり、空間場はそんなに抑圧されていないと感じるようになりました。私も電動自転車に乗ることができるので自分で街に出て真相を伝えました。このような感覚はとても幸せで、雲の中を泳いでいるようで、往々にして家で資料を取る時に多く取るとプレッシャーを感じても、配っているうちに足りなくなり、最終的にチラシやお守りまでみな配り終えてしまいました。人々が争って資料を欲しがり真相を理解し、大法を支持し、大法の救い済度に対して感謝しているのを見る時、私たちは一番の幸せでした。時には、通り過ぎると道端の人々が見え、その人々を落としてしまうのは忍びなく、再び戻り、真相(訳注:真相資料)をその人々に渡しました。

 時にはそこでゴミを拾っている人や、だらしのない恰好をしている人や、錯乱状態になっている人を見ました。私は師父が説かれた「時に、ゴミを拾う人をさかのぼって見れば、以前は宇宙で巨大な神だったのです。しかし、迷いの中で、輪廻転生の中で、彼は完全に迷ってしまい、何もかも分からなくなるまで迷ったのです。ひいては多くの生命は輪廻の中で自分の境遇に不満だらけで、ここに来る使命が完全に分からなくなりました」[2]を思い出しました。私は「彼らを嫌って相手にしないわけにはいかず、人を選ぶことはできず、彼らにも機会を与えなければならない」と考え、再び電動自転車を走らせゴミを拾っている人たちに真相を伝えました。

 時には新興集合住宅地に行って住宅地区の中で真相を伝え、時には農村に行って真相を伝えました。こんなに何年も同修が資料を配っているので、真相を知り資料を見た人々は容易に三退しました。往々にして二言三言で三退し、最終的に人々に「法輪大法はすばらしい」を覚えてもらいました。しかし、救うのが難しい人、あるいは三退しない人もおり、このような人はまず真相定期刊行物を渡してその人に少し理解させ、三退を急ぎませんでした。師父は「観光地の活動は共産党や少年先鋒隊などの関連組織からの脱退そのものを目的としていません。覚えておいてください。真相を伝え人を救うことを目的としているのです!(熱烈な拍手) あなたがその人は救われたと感じたら、はじめて目的を達成しました」[3]と説かれました。

 三、正念で洗脳班の迫害を解体する

 ある時、私は真相を伝えて人に通報され、警官たちは私を警察署に連行しました。私は師父が説かれた「たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないようにしてください」[4]を思い出しました。警察は私を鉄椅子に座らせ、私は座らず、地面に座って正念を発し、私を尋問してサインさせようとしても、私はサインせず、私を病院に連行し身体検査をしても、私は人々に向かって「法輪大法は素晴らしい! 共産党は法輪功を迫害しています! 法輪功は人に良い人になるように教えます!」と高らかに叫びました。

 警察はその晩私を中国共産党(以下、中共)の党学校の洗脳班に連行しました。「610弁公室」の人間は交代で、家族の愛情や家庭、子供を利用して私を脅迫し利益で釣り「転向」するよう強要しました。私がもう少しで耐えられなくなりそうになった時「邪悪の迫害の中で、これらの大法弟子を今捕まえても、当初のように簡単に馬鹿馬鹿しく転向させられることはありません」[5]という師父の法が私の頭に入ってきました。私は師父のご加持を感じ、ある日の私の誕生日に、師父に「師父、弟子は死んでも『転向』しません」と願いを掛けました。「あなたを死なせない」という意念が私の頭に入ってきました。私は突然「ああ、師父は私を死なせず、大法弟子は大法に対する確固たる信念を表明できれば死ぬ必要はないのだ」という理を悟り、私は心の中で平穏を保ちました。警官たちが再び強制的に私を「転向」させようとした時、私は警官たちに真相を伝えました。

 ある日、ある女性が私を単独である部屋に呼んで「あなたは煉功しないと言えば、家に帰ってきちんと暮らすことができるのに、なぜこのような罪を受けて苦しまなければならないのでしょうか」と言いました。私は「お姉さん、現在この社会は世の気風がだんだん悪くなり、悪い遊びにふけり、人々は心の法の規制を失い、どんな悪いことでもやってしまいます。私の夫は一年中外で働いており、もし私が法輪功を修煉しなかったら、とっくに他の人と酒食遊楽にふけっていたでしょう」と言いました。私はさらにその女性に私の身に起きた一つの例を話しました。その女性は私の話を聞いて黙り、私を「転向」させる話もしなくなり、私を戻しました。

 6日目になり、家族と同修の救助によって、私は家に帰されました。家に帰ってからはじめて洗脳班が私の家族から6000元のお金と2箱のたばこを強奪したことを知りました。

 四、大規模に市内の各居住区に向けて資料を配り人を救う

 師父は「真相を伝え、衆生を救い、これはすなわちあなたが行うべきことです。これ以外に、あなたが行うべきことはなく、この世界であなたが行うべきことはありません。あなたはこれらのことを行うべきですが、一部の人は自分が修煉しているという気持ちさえ薄れてしまい、常人のことを重く見ています。皆さんにとって、それは大法弟子の修煉の道から離れてしまったのではありませんか?」[6]と説かれました。

 十数年来、私はずっと仕事をしてお金を稼ぐ時間が見つからず、怠け者ではなく、またできないわけでもなく、法を正すことの時間が緊迫の度を深めていると感じ、お金を稼ぐために時間を使いたくなく、使うのに困らなければ、それでもう十分でした。常人と競争はしません。

 2014年、同修の助けの下、私は自分で真相定期刊行物を作れるようになり、自分で使う分にはとても便利になりました。私は毎週数日掛けて農村に行って真相を伝える以外に、さらに数日を利用して建物内の衆生に向けて資料を配ることに決めました。

 迫害から20年が経ち、建物内の人は数年に一度しか真相資料を見ることができず、ある人はいつも防犯ドアを閉めているので、中の人たちでさえ真相資料を受け取ることはできません。中共の宣伝や新聞は毎日世の人々を毒害しています。私はすべての縁のある衆生に救われる機会を一度与え、すべての建物内に真相資料を与えに行こうと決めました。私は小さな手帳を持って記入しながら、どの建物に配ったか、書き留めました。配らなかった場合は次回道を通る時にもう一度チェックし、もしかしたら防犯ドアがうまく開いているかもしれず、ついでに入って行き、ある居住区の入り口は道を通った時に十数回に一回しか開いておらず、さらに大きな居住区は配るのに2年近くかかり、みなもうすぐ配り終わるのに、ある居住区の入り口はさらにずっと閉まったままでした。

 ある時、私がもう一度そこを通ってみると、入り口が開いており、急いで駆け上がりました。衆生に救われる希望を贈る過程で私はいつも「私たちが心を込めて行ないさえすれば、師父の法身が加持し助けてくださる」と感じました。いつも閉まっている居住区の入り口がある時通りかかるとうまい具合に中から人が出てきて、私は勢いに乗じて上がっていき、またある時はある部屋の所有者が入って行き、私は晴れ晴れとして「こんにちは! 入り口を開けたままにしておいていただけませんか」と言い、部屋の所有者たちが中に入ってから私はその後で中に入りました。ある部屋の所有者は私が親戚回りをしていると勘違いし、ある所有者は「何階に行くのですか」と聞き、私は「最上階です」と言い、さらに理性的に対応しました。

 過去を振り返ってみると、この数年間同修と外に出て面と向かって真相を伝えたことは私にとって試練であり、今日(訳注:2019年11月)資料を配る時に堂々と相対することができるようになったことを私はとても感謝しています。建物内で人に会っても、理性的に対応することができるようになり、時には門から資料を放った途端、中からちょうど門を開いて人が出てきて、私は勢いに任せて出てきた人たちに読んでみるようにと本を渡し、ある人はそれが法輪功の資料であることを知っていました。ある人は「何の本ですか」と聞き、私は本のタイトルの文字を言い、時にはそれは「金の種」(訳注:明慧定期刊行物の一つ)であり、時には「真相」(訳注:明慧定期刊行物の一つ)でありさらに状況を見て、人々の受け入れ程度と時間によって真相を伝え、ある人はさらに三退しました。

 ある時期師父が私を励ましてくださり、夢の中である人が私の草の抜き方が一番きれいだと言いました。数年が経ち、周囲の大小の居住区を私はすでに十数カ所配っていました。私の周りの同修は私の啓発を受け、ある同修も私のように小さな手帳を持って記入しながら、できる限りすべての人々に福音を贈りました。しかしここ数年とは違い、この居住区ではいくつかの部屋に配り、あの居住区でもいくつかの部屋に配り、このようにするとある部屋には容易に二重に配ってしまい、ある部屋にはまだ配っていませんでした。

 法を正す時間は間もなく終わり、私たちが衆生を救い済度できる時間もますます少なく、残された時間の中で、私はさらに多く内に向けて探し、自分をしっかりと修めなければなりません。

 次元に限りがありますので、不足の所があれば同修の慈悲深いご指摘をお願いいたします。

 慈悲深い師父に感謝申し上げます!

 同修の皆さんに感謝申し上げます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「新唐人テレビ討論会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」
 [5] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」
 [6] 李洪志師父の経文:『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/5/395390.html)
 
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