二言三言:間違ったことをした同修を理解する
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2021年4月21日】一部の同修の修煉がよくできていないとか、あるいは長い間、問題に対してよく修めることができていないとか言うのは、決してその同修が、その問題を乗り越えようとしていないからではなく、彼らが問題に気付いていなかったのかもしれません。観念による誤りがあったのかも知れませんが、何といっても社会全体の道徳的価値観が共産党によって堕落してしまっています。当然裏には、旧勢力が押し付けた要因や、大きな困難などがあるはずですが、状況によってはそれぞれ異なります。

 修煉者が皆、成熟へと歩んでいく過程の中で、間違いは確かにありますが、真面目に修煉して改めていけばよいのです。

 重要なのは、同修を理解しなければならないということです。誰もが「良くなるように修煉していきたい」と思っています。皆、師父によって選ばれた大法弟子なので、大切にすべきではありませんか。自分が間違ったことをしていると知ったら、自分を責めるはずです。しかし、又聞きだけで、誰かに「問題がある」と思ってはいけません。私はその同修をよく知らないのですが、「彼らが良くない」と当たり前のように思ってしまったり、盲目的に彼らを排斥したり、彼らを無視したりして、彼らを疑ってはいけません。その同修は、他の面では自分よりもよく修めているかもしれないからです!

 もし、あなたが間違ったことをした同修を助けたいと思って、同修の間違っているところを、しっかり把握してから問題の解決方法を探し、理性的に分析してしまうと業を作ってしまい、あなたは良くないことをしたことになります。師は法の中でどのように説かれているのでしょうか、なぜ修煉者は法と一致しないのでしょうか、なぜ人間としての基準に一致しないのか、私たちは修煉者でですがこうした方がさらに良くなるのではないだろうか…、私たちが本当に同修とよく交流ができれば、同修たちはきっと変わると思います。そのときになって初めて、同修を本当に助けることができるのです。しかし、相手がそれを受け入れないのであれば、執着してはいけません。結局は人を救い済度するのは法と師であり、修煉中の私たちは、自分自身を修煉することしかできないのです。

 師父は、「大法弟子は人を救い善を行うことを根本としており……」[1]とおっしゃっています。私たちはこの基本を覚えて理解する必要があります。大法弟子として、私たちは慈悲深く人を救うことしかできず、人を脅したり罰したりして人間の手段を使うことは決してありません。それは常人や同修に対しても同じなのです。

 他人に善を行えば、彼らが学ぶことも善であり、他人に悪を行えば、彼らが学ぶことも悪なのです。

 昔から言われているように、「ひどい言葉で傷つけられると6月の暑さも寒く感じる」という言葉があります。つまり、ひどい言葉は人を傷つけ、大きなダメージを与えるという意味です。嫉妬心を取り除き、「間違ったことをした同修を理解する」ことを学びましょう。すべての行動において他人の気持ちを考え、真・善・忍の基準を常に念頭に置き、すべての人に慈悲を持って接することができれば、あなたは神が賞賛する大法弟子になるでしょう。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「正念をもって悪事を制止する」

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/8/421635.html)
 
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