発正念についての幾つかの体験(二)
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2012822日】

 (三)

 ある日、私と同修は交流しました。、同修は執着によって良くない物質があり、身体の調子がよくありませんでした。同修はメンツのためにそれを言い出すことができませんでしたが、その心を捨てて私と交流をしました。交流が終わった後、一緒に発正念をしました。同修の空間場は直径30センチほどの黒い物でいっぱいでした。発正念が始まると、白い物質が現れて黒い物を取り除き始め、発正念が終わるまでに約3分の1の黒い物を消滅しました。「気持ちがとても良いです。初めてこれほど良い気持ちを感じました」と、同修は発正念を終えてから言いました。このことから、メンツや執着を捨てることができれば、邪悪の妨害が無くなると私は悟りました。

 また、私は歯が痛くて学法煉功もできないある同修と交流しました。私は発正念をしようと提案し、2人で発正念しました。同修の空間場には薄気味悪い、冷たいエネルギーを発している青色の物体が見えました。それは私の天目に衝突しました。家に何か位牌を祀っているのではないかと聞くと、「夫がかつて祀っていた『香炉』が確かにまだ残っています」と同修は答えました。その香炉を捨てた後、同修の病状はなくなりました。

 今年、私はワシントン法会に参加しました。皆と一緒に買い物をして、ホテルに戻る時、歩いて行くかタクシーを呼ぶかについて、私とある同修の間で少しトラブルが起こりました。その同修は買った物が少ないので、歩いてホテルに戻りたいと言いましたが、他の皆は物が多いのでタクシーで帰りたいと言いました。自己の意見を堅持して1人で歩きだしたその同修に、「あなたは荷物が少ないから歩けばいいですが、私たちは荷物がいっぱいなので、タクシーで戻ります。あなたは好きに歩けばいいです」と私はちょっと意地悪く言いました。結局、その同修も皆と一緒にタクシーでホテルに戻りましたが、私に不満を抱いて、他の同修の前で私の悪口を言いました。

 翌日、その同修は足を引きずるようになりました。私たちが資料を配りに行く途中、私は「妨害を取り除くために発正念をしましょう」と提案して、その同修と一緒に発正念をしました。同修の空間場はかなり綺麗で妨害がないようでしたが、ずっと見続けていると、微小な粒子で構成されたミミズのようなものが現れました。功能で取り除こうと何度繰り返しても効果がありませんでした。それはその同修自身の思想が形成したもので、取り除くことは難しかったのです。私は自分が見たことをその同修に伝えました。「昨日のタクシーのことでちょっと気分が晴れません」と同修は気さくに言うので「私にも悪いところがありました」と返事をして2人とも笑いました。翌日、同修の足は正常に戻りました。このことによって、自己のわずかな一念も重要で、自分を律しなければ同修にも悪い影響を与えるのだと私は悟りました。

 発正念の時に見たことから、私は発正念の重要性がわかりました。妨害された時に、何度も取り除くことができなければ、必ず内に向けて探し、自分の行為や考えが大法から離れていないかを見なければなりません。特に難関に遭った時に、自己の執着や常人の観念、人心を放下してこそ、邪悪は妨害できなくなり、発正念の威力も出てきます。

 個人のささいな体験なので、適切でないところがあれば、慈悲にご指摘ください。

 (完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/8/17/261657.html)
 
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