遼寧省女子刑務所での迫害実態
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 【明慧日本2013年6月27日】順城区に住んでいた赫立中さんは、1996年に法輪功を習い始めた。2001年6月頃、赫さんは撫順労働教養所に拘禁された。その間、拷問や50日間の断食によって瀕死状態に陥ったため、釈放された。それ以来、赫さんはずっと放浪生活を余儀なくされた。

 放浪生活3年目の時、赫さんは自宅に戻ったが、中共(中国共産党)の公安当局から繰り返し嫌がらせなどを受け続けた。結局、当局により赫さんは撫順市留置場へ収容されるよう手配された。拘禁中、赫さんは断食で瀕死状態に陥ったが、容赦なく暴行を加えられ、硬いコンクリートの地面にぶつかって打撲を負った。

 懲役9年の不当判決を宣告された赫さんは、遼寧省女子刑務所に移された。そこの第1監区に編入されてから、睡眠時間を奪われたり、10数時間も小さな椅子に座らされたり、沐浴を禁じられたりするなどの迫害を受けた。

 また、施設内では赫さんに対する暴行が毎日のように行われた。これによって赫さんは全身傷だらけで重体となったが、引き続き、次から次へと繰り返し暴行を受けつくした。赫さんは後遺症として歯がすべて抜け、やつれて見る影もなく顔がボロボロとなった。

 冬になると、赫さんは薄着を強いられて凍えさせられ、温かいご飯があっても冷たくなるまで放置された後、渡されるなど、各種の生活上の妨害や嫌がらせを加えられた。

 赫さんは断固として転向を断ったため、衣服を脱がされて全裸にされ、法輪功に対する悪質な攻撃と中傷および法輪功創始者である李洪志先生をののしる汚い言葉を書き入れられた。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/6/14/275314.html)
 
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