明慧法会|同修を救出する過程で名、利、情を取り除く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2013年7月12日】 尊敬なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 一、大法に出会う

 私は1997年12月に大法に出会いました。最初から大法はとても良いと思って手放せなくなりました。今までの14年間、私は『轉法輪』を千回以上通読し、2回暗記しました。特に『轉法輪』の第一講は迫害前からすらすらと暗記できました。『洪吟』、『洪吟二』、『精進要旨』の中の多くの詩や短文も暗記しました。私は今年58歳なので、そんなに速く暗記できるわけでもないのですが、これほど素晴らしい法理を全部心に刻みたいとの気持ちで、暗記できたのです。

 二、難関を乗り越える

 修煉前、私は多くの病を患っていました。小さい時から体が弱くて手足がだるく、一日中頭がずっとくらくらしていました。婦人病、尿道炎もずっと私を悩ませました。よく血便が出て、痛くてつらかったのです。修煉して3週間経ってから、身体が軽くなって全身の力も強くなり、歩く時、足がとても軽くなりました。

 1998年秋のある日、私はバスを降りて道路を渡ろうとした時、左側から急速に疾駆して来た四輪農用車が私にぶつかり、私は倒れて意識不明になりました。皆が私を農用車の下から引っ張り出したとき、私の後頭部は骨が見えるほど怪我をして、血が止まりませんでした。タクシーは車内で死なれるのが怖いので、誰も私を乗せてくれなかったのです。結局、隣人が私を病院に送ってくれて、頭部の怪我を10数針縫った後に、医者は家族に「入院しますか」と尋ね、家族が返答する前に私は「入院しない、入院しない」と叫びました。当時の経過はすべて後日、家族に教えられたもので、当時の私は記憶を喪失していました。

 家に帰って私は3日間昏睡しました。目が覚めた後に、やっと交通事故を思い出しました。病院までと、家までのタクシー代と私の医療費は皆その農用車の運転手が出したと知った時、私は『精進要旨』「佛性に漏れなし」の言葉を思い出しました。「今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです。それゆえに皆さんは、今後何かを行ない、何かを口にするときにも、ほかの人のため、ひいては後世の人のために考えなければなりません! 大法が永遠に変らないようにするために考えなければならないのです」私は大法弟子なので師父のお教えの通りにすべきだ、運転手も故意に私にぶつかったわけではないと思って、私はタクシー代と医療費の合計760元(約12000円相当)を彼に返しました。しかし、彼は受け取らないので、私は『轉法輪』の中の言葉、「運転手がスピード違反をしたことは確かです。しかし、彼もわざと人にぶつけたわけではありません。彼は不注意で事故を起してしまったのではありませんか?」を彼に聞かせました。彼はとても感動してお金を受け取り、「素晴らしい師父ですね」と感動していました。私と同修は彼に法輪大法の良さを教え、『轉法輪』を見せると、後日その運転手は修煉に入って大法弟子になりました。

 三、内に向けて探し、名、利、情に対する執着を取り除く

 1、情に対する執着を取り除く

 今年の初め、現地の同修2人が密告され公安局に連行されました。突然やってきた出来事に心の準備ができず、このことが起きた原因などを反省する前に、私は情に陥り、ずっと涙を流し続けました。なぜなら、中の1人は私と仲が良くて、2人は1999年7.20から今まで、12年間ずっと一緒に大法の仕事をして、離れたことが一度もありませんでした。彼女が今、迫害に遭っていることを知り、私は耐えられなくなりました。私は師父の肖像の前に跪いて大いに泣きました。泣いて泣いて、突然『轉法輪』の中の言葉、「情というのは常人のもので、常人とはほかならぬこの情のために生きているものです」と『洪吟二』「別れ哀しむ」の中の言葉、「人心を片付けば悪は自ずから敗る」を思い出しました。「情は修煉者が取り除くべきもので、私は旧勢力の罠にはまった」とすぐ分かり、私は涙を拭きました。

 魔難がやってきたら、それを良いことと思って、それをきっかけに内に向けて自分を探そうと思いました。私は同修の救出を手伝いながら、内に向けて自分を探し始めました。

 2、名に対する執着を取り除く

 ここ数年来、私は真相を伝えるなど大法の仕事に最大の力を注いで、学法や自分を修めて高めることを疎かにしたので、集中して学法することができていませんでした。自分のたくさんの執着心(例えば名、利、情などに対するもの)に気づかず、周囲のみんなが積極的に真相を伝えているので、当地区の修煉は良くできているのではないかと自惚れていました。時には他の地区と張り合う気持ちさえ生じて、他地区の同修から「あなた達の地区は真相を伝えることが良くできているね」と聞くと、有頂天になりました。自分のそういう自惚れは修煉の漏れなので邪悪に乗じられ、同修が逮捕されたのは、私にも責任がありました。

 去年、他地区の同修が私達の地元で逮捕されたので、当地区の修煉は良くできていないと思い、その同修にとても申し訳ないと思いました。しかし、私は心が重苦しくなるだけで、同修が逮捕された原因はどこにあるか考えもしませんでした。あっと言う間に1年が過ぎましたが、その1年を無駄にしてしまい、大法の基準に照らして反省せず、自分を高めませんでした。

 今年の新年を迎えた時、私はまた人心で、「今年こそ気をつけて、再び事件が起きないようにしたい」と思いました。結局、また事件が起きて、同修が逮捕されることになり、自分が逮捕されるよりも私は心を痛めました。苦痛の中で、『轉法輪』の中の「それは慈悲心から出るものではありません。その人は名利心を全然捨てていないので、慈悲心が現われるはずがありません」を思い出しました。私ははっとして、「これは私の情況を言っているのではないか」と悟りました。

 ちょうどその時、協調人が我が家に来たので、私は彼に自分の名を求める心がどうしてこんなに強いのかと打ち明けました。彼は「もっと掘り下げて考えてください。それは私のため、我のためではないですか」と言いました。そうですね、修煉は無私無我の覚者になることを目指しますが、私はかえって私と我を固守する人間になっていました。これは根本的に執着を放下していないことではありませんか? どれほど恐ろしいことでしょう。一瞬、体が浮き浮きしてとても軽やかになって、頭の中に何も入っていない「空」の感じがしました。なんと気持ちが良かったでしょう。

 3、利に対する執着を取り除く

 名と情に対する執着が見つかり、利や金銭に対する執着心がないかと私は引き続き探しました。私の家は家庭資料拠点です。資料の作成量はそれほど多くありませんが、すべての費用は自分で負担しており、同修に援助してもらうことはありませんでした。そのため、自分の利に対する執着心はあまりないとずっと思っていました。しかし、今回こそそれに留まらず、掘り下げて探そうと決心しました。

 ある日、同修を救出することを分担した時、脳裏に突然『明慧ネット十周年法会での説法』の中の言葉、「今日の人類の大舞台はすなわち、大法と大法弟子のために用意されたものであり、どのプロジェクトに関わっていても、衆生を救い済度するために何を行なっていても、確固としてしっかり行ない、きちんと完成させるべきです」が浮かびました。私ははっと驚いて、同修を救援することについて、自分は実はずっと夫に依存しているとはじめて気付きました。どうして夫に依存するのでしょうか? 同修を救出するため、私達は弁護士に依頼しようと思いましたが、夫はそれはお金の無駄遣いだと思ってずっと協力せず、弁護士の件はずっと進展がありませんでした。

 今日の人類の大舞台で大法弟子こそ主役で、常人に依存してはいけません。弁護士の件はどうして前に進まないのですか、根本的な原因はお金ではありませんか?! 私がずっと探している利に対する執着心は、ここにあるのではないでしょうか? 私ともう1人の同修は逮捕された同修の家に行って、弁護士費用は私達に負担させてください、但しあなたに協力してほしいこともあります、と言うと、夫は賛成しました。翌日、弁護士に連絡して、3日目に同修の子供から電話がかかってきて、「お父さんは留置場にお母さんを迎えに行きました」と知らせてきました。なんと、同修は無事に釈放されたのです!

 この事を経験して、私は「名利情を修し去り 圓満して蒼穹に上る 慈悲をもって世界を看れば 今し方迷いの中から醒める(『洪吟』「円満功成」)」について、はじめて本当に悟りました。

 四、真の修煉者になる

 同修逮捕の事件をきっかけに、自分の本当の修煉状態は如何なるものかを見ることができ、真に修煉しているのかと私は厳粛に自分に問いかけました。師父は私達に「煉功者としては、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないで」と教えられ、名、利、情をきれいに取り除いて無私無我の覚者になるようにと教えられました。その法理は口で言うのではなく、弟子としてしっかり行動に移さなければなりません。私は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです(『轉法輪』)」について、いっそう理解を深めました。

 それから、私は真に着実に一言一行から自分を修めようと決心して、多く学法したので、短期間に体の面にも変化が起きました。修煉の最初から静功をする時、私は2時間両足を組めましたが、ここ数年、両足を組んで1時間も座れなくなり、さらに最近は2本目の足を上に上げることがとても困難になり、上げるとすぐけいれんして、何回もやってやっと上げられるほどでした。私は合計39冊の経文を一通り通読してから、奇跡が起こり、知らないうちに足が上げやすくなり、いつの間にかまた2時間以上両足を楽に組めるようになりました。これは大法の力で、師父からの励ましだと分かりました。

 師父、ありがとうございます! 同修の皆さん、ありがとうございます!

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/6/%E6%98%8E%E6%85%A7%E6%B3%95%E4%BC%9A--%E8%90%A5%E6%95%91%E8%BF%87%E7%A8%8B%E4%B8%AD%E5%8E%BB%E5%90%8D%E5%88%A9%E6%83%85-249447.html)
 
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