【明慧日本2013年9月7日】湖南省・益陽市の法輪功修煉者・郭照青(40)さんは、2009年4月に警察に連行され、殴打されて下肢が麻痺して動けなくなった。その後、武陵区の裁判所に懲役10年の不当判決を下された。現在、郭さんは両足が麻痺しているにもかかわらず、湖南省女子刑務所の独房に監禁され、奴隷のように酷使されている。
郭照青さん
郭さんは益陽市大衆芸術館の幹部で、何回も部門の優秀従業員に選ばれたことがある。1996年、郭さんは法輪大法を学び始め、1999年4月中旬、益陽の煉功站の站長に推薦された。同年7.20、中共(中国共産党)が法輪功への迫害を開始して後、郭さんは修煉を放棄しないため、市の書道協会事務局長などの職務を解任された。1999年から2009年までの10年間に、郭さんは相前後して9回連行され、様々な拷問を受けた。以下は郭さんが受けた迫害事実である。
2000年、郭さんは北京へ陳情に行き、連行された後、天津で拘禁された。49日間断食した郭さんは、ようやく戻された。それ以来、嫌がらせや迫害がずっと絶え間なく続いている。
2001年1月16日、郭さんは現地の警官に連行され、株洲の白馬リュウに送られ、2年の労働教養を強いられた。その間、郭さんは吊るし上げ・スタンガンによる電気ショック・暴行などの拷問で苦しめられ、しかも、刑期を1年延長された。2002年、郭さんは74日間断食して、喉と腹部が腫れ、10月に息も絶え絶えになり、現地の610弁公室の警官に連れ戻された。
2003年と2004年、郭さんは益陽市で最も暴力の激しい桃江県留置場へ2回連行されたことがある。2003年には警官・唐桂華が、何度も益陽大衆芸術館に来て「お前の一家を離散させてやる!」と皆の前で罵った。
2004年、桃江県留置場で殴打され傷だらけになった郭照青さん
それ以後、郭さん一家は常徳市で落ち着く所がなく、転居をよぎなくされた。常徳市にいた間、10数回も住居を変えた。2005年12月20日、郭さんは両親と共に常徳武陵区の警官に連行され、一家の生活費2万3千数元をすべて没収された。
郭さんの父・郭道康さん(当時70歳代)は、全国的に有名な文化人で、常徳市第一留置場に拘束された時、家族と会うことを禁止された。母・熊碧雲さんは心臓病と高血圧の持病があり、家で連行された時卒倒し、翌日に測った血圧は230、脈拍は180だった。熊さんは拘束されて20日間で3回人事不省に陥った。3回目の時、警官は緊急措置を採らなかった。上層部の指示により、法輪功修煉者は刑務所で死んでも問題にならないからだ。両親は3カ月後に戻された。
郭さんは常徳市臨レイ県留置場に拘禁され、迫害に抗議するため断食した。断食して7日目の2006年4月21日、郭さんは病院に送られる途中で脱走した。
2009年4月21日、郭さんはチン州市北湖区で現地の警官に連行された。当時、10数人の警官が郭さんの住居に突入し、殴ったり蹴ったりして、郭さんは血の海の中で気絶した。警官は急いで血を拭いてから現場の写真を撮った。
郭さんはチン州に9日間拘束されたが、警官の要求に従わなかったため、残虐な拷問で苦しめられ、体中が傷だらけになった。常徳市610弁公室は情報を得て、脱走に報復するため、先を争って益陽市610弁公室が到着する前に郭さんを略奪して、4月29日に常徳市臨レイ県留置場に移送した。同留置場で、警官は郭さんの負傷した両足をさらに力を入れて踏みつけ、両下肢は完全に機能を失い、麻痺して萎縮した。
同年6月、郭さんは常徳第第一刑務所に移送された。12月2日、両親が面会に行った時、郭さんがすでに10年の不当判決を宣告されたことを知らされた。今回の判決は、いかなる法的手続きも経なかった。
2010年の初め、郭さんは湖南省女子刑務所に拘禁された。刑務所は家族との面会を許さず、独房に閉じ込めた。このような情況下でも、郭さんは毎日12時間、奴隷のように酷使されている。
郭さんは両親の一人娘だ。母は病気の身体でありながら、眠れない日々が続いている。年を取った父は、益陽市と長沙市の遠距離をよく往復しているが、毎回娘に会えるとは限らない。
2012年、両親が娘に会いに行った時、警官は郭さんに2本の杖を使って自分で行くようにと命じた。まったく歩行できない郭さんは、独房から面会室まで2時間以上かかった。郭さんの迫害事実がネットで公開されるたび、中共は両親を脅迫した。年老いた両親は恐怖の中で娘の安否を常に心配している。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)