【明慧日本2013年12月17日】「名」は人間に対する影響がとても大きいのです。秦王朝末期の項羽(こうう)将軍の例を挙げますと、彼はどうして自殺を選んだのでしょうか? 当時、敗れた彼は船に乗って揚子江を渡れば、生き延びることができました。しかし彼は「故郷の人たちに合わせる顔がない」と言い残して自殺を選択したのです。私は、彼はメンツが潰れたこと、名誉を失うことに耐えられなくて自殺したのだと思います。
世間の人はみな知らず知らずのうちに「名声」を求めています。では、「名を求める」行為にはどんな現れがありますか? 何かを言って、何かをする時、人から褒められたい気持ちがあれば、それは「名を求める」ことになるでしょう。世の中の多くの事は、名を求める目的で行われたのです。みなさんは自分の言行を観察してください。時にはとても深く隠れており察知し難いのですが、自分にその欲求はないのでしょうか?
「名を求める」人は往々にして良い事をします。しかし、良い事をする時の目的は純粋ではありません。修煉者は真相を伝えて衆生を救い済度することにも、「名を求める」心が混じる場合があります。みなさん、自分が真相を伝える時、褒められたい気持ちを抱いていないかを反省してみてください。
中国共産党は間もなく崩壊します。その時になったら、全世界の民衆はどのように法輪功修煉者を盛大に賛美するか、考えれば分かるものです。それはとても大きい名誉、名声なので、大法弟子にとって一種とても大きい試練にもなるのではないかと思います。
(訳者注:項羽は秦末期の楚の武将。秦に対する反乱軍の中核となり秦を滅ぼし、一時「西楚の覇王」と号した。その後、天下を劉邦と争い(楚漢戦争)、当初は圧倒的に優勢であったが人心を得ず、次第に劣勢となって敗死した。)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/9/18/142087.html)