明慧法会|環境を切り開き衆生を救う
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 【明慧日本2014年1月20日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私は理容師です。理容の仕事をする過程で幸運にも大法を得ました。以前の私は生活が貧しかったのですが、大法を得て、世の中の万事に因縁関係があることを知ってから、大都市に出て名利のために奮闘することをやめ、これからの人生においてどこにも行かず、農村に留まって着実に大法を修煉していこうと決心しました。

 しかし、その良い環境は長続きせず、1999年7月、邪悪が天から降りてきて、江氏グループによる大法への迫害が始まりました。中国全土は暗雲に包まれ、どの家も安らかな日はなく、私も正常な修煉環境を失いました。その時期を乗り越えてきた大法弟子なら誰もが実感するでしょう。

 師父が冤罪を受けて迫害されているのに、弟子が手をこまねいているわけにはいきません。随分前から、私は同修と一緒に当地でわりと自由に修煉環境を切り開き、多くの衆生に真相を分からせ、大法弟子を保護してもらう作用を働きました。この時、私は家を出てもっと多くの人を救おうと思いました。

 ある同修は私が理容ができることを知り、何回も私に都市に出て、店を開くように勧めてくれました。しかし私は人心に阻まれ、どうしても自分はできないと思い、躊躇していて、「修は己にありて、功は師にあり」(『轉法輪』)の法理を思いつきませんでした。私を徐々に都市に導いてくれた真のきっかけは、同じ村にいたある若者が、理容ができないにもかかわらず、大都市で理容店を開き、私に自分の理容店に来るように何回も訪ねてきたことでした。彼は私が驚くほど私の技術を高く評価しました。以前も何人かが私を誘いましたが、今回はおそらく師父が他人の口を借りて私の心を開き、私に勇気を与えて下さっていると思いました。私は道をどう歩むべきかが分かってきました! 私は必ず法を実証し、衆生を救い、自分の生活問題も解決できる道を切り開いていけると思いました!

 大法と師父を固く信じると同時に、同修達の無私な助けの下で、私は自分の店を開きました。雇っている理容師の技術もよく、商売はそこそこ上手くいきましたが、心性の関もやってきました。師父は『轉法輪』の中で「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」 と、説かれました。私が雇っている理容師は私を見下して、 私が切った髪だと知りつつ、その技術が下手だと他人に言いふらし、私はパーマなどができないと知りつつ、手伝いをせずに冷やかし、一部のお客さんはシャンプーすら私にやらせようとしませんでした。店の向かいに住んでいる同修は時々顔を出して、私に関する皆の評価を言ってくれましたが、本当に一日もそこに居られない感じでした。当初、自分が決断した際の私の選択は間違ったのでしょうか? 学法し、内に向けて探して法理から悟ったのは、私の選択が法を正すことに有益であればそれは正しいのです。私は恨まず、挫けず、寛容で平穏な心を持ってすべての人に向き合おうと決めました。

 1カ月が瞬く間に過ぎて、雇っている理容師は辞める前に私にこう言いました。「これからあなたがどうなるかをみてみましょう」。私は落ち着いて自信をもって彼女に「心配は要りません。店は私自身で維持できるし、環境は私自身で切り開いていきます」と答えました。大法の中での奇跡は多くあります。字が読めないおばあさんでも1週間でコンピューターを習得できるのに、私はただ以前の技術をやりなおすだけなのですから、どうして難しいと言えるでしょうか? この簡単な一念だけで、私の環境は徐々に良い方向へ発展し、私も自分の言動を通じて周辺の人々の尊敬と理解を得ました。

 『ロサンゼルス市法会での説法』の中で、師父は説かれました。「言い換えれば、どの領域にいても、あなたの技能が向上できれば、それは自分の境地を高めたあとの現れです。見た目では、あなたは良い人を目指しており、心を修めています。人間の角度から言えば、あなたは良い人になり、法を勉強し、内に向けて修煉しているから、行ないがますます良くなり、そのため、神はあなたに備えるべき智慧とひらめきを与え、勉強の中で多くのことを分からせ、さらに良いものを創造させ、もっとレベルの高い技術を身につけさせ、飛躍があるようにします。皆さん考えてみてください。人類社会の中で、いかなる正当な職業においてもこうすることができるのではありませんか? 仕事中のすべてをしっかり行なうと同時に、自らを修めていれば、あなたは向上することができるのではありませんか?」。この説法から私が学んだのは、法輪大法の法理は真に修めるそれぞれの次元において現れてきて、法とは何かを体得できます。私達にできるのは、最も良い方法をもって師父が求められていることを圓容することで、そうすれば師父は私達を助けて下さいます。

 師父は『二〇〇三年旧正月での説法』の中で説かれました。「ご存知ですか? ただ修煉について言えば、宇宙の低次元においてはとても複雑ですが、高次元になるととても簡単になり、修煉という概念もなく、ただ業力の消去という概念だけになります。更に高い次元になると、全ての厄介なことは天に上るための道を開いているだけであると言っています。それより更に高い次元になると、業力の消去や苦を嘗めることや、修煉などの概念もなく、選択ということしかありません! 宇宙の高次元ではこのような理であり、誰ができるのかを見て、その人を選ぶのです。これが理なのです」

 常人は「法輪大法はすばらしい」ことさえ体得すれば大法に救われますが、法を正す時期の大法弟子は、法を正す時期の修煉の内包を体得して初めて師父に選択され、済度され、始めて衆生を救う能力をもつことができます。全ては師父の選択にあり、それは私達の選択の内にもあります。

 大法に対する堅い信念を元に、短期間で私の理容技術や心性は高まり、私の顧客もどんどん増えるようになりました。仕事において私は絶えず最善を求め、老若男女を問わず、皆に良い印象を与え、同業者と団結し、平等な競争を図りました。師父は私達修煉者に、どんな環境に置かれても良い人であるようにと要求されています。私は自分の約束や担うべき責任を忘れないように、徐々に身辺から公に真相を伝え始めました。私は真相資料や真相DVD、神韻のDVDを配り、鏡の両縁に「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい」のお守りを吊るし、テレビ画面の上の縁に手書きの「法輪大法は正法である」の紙を貼り、人々が真相を知る環境を作り、知る機会を提供しました。

 数年来の真相伝えの過程で、最も多く聞かれた質問は、「あなたは怖くないのですか?」でした。この質問に答えるに際し、私は絶えず自分の言い方や心を修正してきました。その答えも、最初の闘争心が強い「誰が何を出来るというのでしょうか? 神が許さなければ何も発生しません」から、今の「心配して頂きありがとうございます。あなたは他人も自分も害するようなことはしないと思います。私が出会う全ての人は良い人だと信じています。神は私のところに良い人を来させ、出会うのは縁であり、真相を知るのは福です。私と縁のある方々は皆、真相を知り、素晴らしい未来を持つことを心から願っています」というように変わりました。大多数の人は天象の変化に従い、自分の未来のために正しい選択をしますが、そうでない人もいます。真相が分からず、私が法輪功の学習者であることを聞いた途端、店の前で引き返してしまう人もいれば、法輪功のことがなければ、もっと商売は繁盛するはずだと言う人もいました。私は彼らの言動に動揺せず、やるべきことを黙々とやっていき、師父の「相は心より生じる」の法理を深く理解し、この一念の差で私は恐れる心に対し、更に深い認識が出来、最終的にそれを自分の空間場から徹底的に解体しようと思いました。

 私の店は繁華街に隣接しており、常にパトカーが前を往来します。最初の頃、店の前にパトカーが止まったり、通過するのを見るだけで胸がドキドキし、例え発正念をしてもこの要素を取り除くことができませんでした。この問題に長く悩まされ、私は重視しないといけないと思いました。師父は問題に遭えば内に向けて修めるようにと教えられていますので、私は自分が何故恐れるかを自問しました。私を捕まえに来ることを恐れているのでしょうか? しかし、私は良い人になろうとしています! 良い人は迫害を受けるべきではありません。それなら、なぜパトカーを見て迫害まで連想するのでしょうか? もっと深く掘り下げていくうちに、私ははっきりと分かってきました。実は、自分は師父の法理をきちんと認識できず、恐れる物質を発生させていました。師父は旧勢力の出現自体をも認めないのに、私は自ら自分を迫害される位置に置きました。私は発正念をしてそれを排除しました。正に師父の経文の通りでした。「汝に恐れ有らば、它はじきに抓む、念を正しくすれば、悪はじきに崩る」(『洪吟二』「何を恐れる」)

 この問題における認識の向上により、私は修煉の厳粛性も深く認識できました。事を多く実行しても、法に沿っていなければ、常人のなすことに過ぎません。修煉者の向上の根本は、無条件に内に向けて探し、他人の意見を聞き入れ、法理を持って自分を律することで、そうして初めて衆生を救う作用を果たします。正念を持って世の衆生を救い、異なる心性は異なる環境をもたらします。大法弟子はどこへ行っても衆生の注目の的です。何故なら、私達は衆生が救われる唯一の希望だからです。

 学法と内に向けて探すことを通じて、私は真に他人のためになる生命に変わり、私から真相を聞いた多くの人は心からこう評価してくれました。「あなたは本当にいい人です!」

 ある日、魚を飼育している人が来店し、私は彼に真相を伝えました。彼は法輪功が一体何なのかを知らないと言い、そしてこんなことを言いました。「ある人は真相資料を私の車に貼ってしまい、私は法輪功に反対しませんが、その張られたポスターを剥がすのに、私は車の塗装を剥がさざるを得ませんでした。私は怒らなかったのですが、しかし、法輪大法とは一体何なのかを知りたいです」。私は自分自身の経験をもって彼に大法の素晴らしさを伝え、彼はそれを聞いて天を仰ぎ感嘆しました。「私はやっと分かりました。本当に嬉しいです」。その後、彼は全ての真相資料を持ち帰り、自分の家族にも真相を分からせ、全員が賢明に三退を選択しました。そして、「法輪大法はすばらしい」を暗唱しています。その後、彼が教えてくれたのですが、その年の魚の飼育状況はどの年に比べても好調だったそうです。

 また、別の日に、既に真相を知った女性が沈んだ顔で来店したので、私は事情を尋ねました。彼女は女の子を予定日より早く生み、赤ちゃんは命が危なく、今は看護室に入っていて、姑は孫が女の子であるため治療させようとしないそうです。しかし、彼女と主人は共に40歳を過ぎており、男女を問わず子供を欲しがっていて、今は子供の状況を非常に心配しています。先日彼女は既に三退したので、私は彼女に真相を信じているかと尋ねると、彼女は信じると答えました。私は彼女に、子供の傍で真心を持って「法輪大法はすばらしい」を暗唱すれば奇跡が起きると伝え、彼女は喜んで二つのお守りを持ち帰り、主人にその方法を伝えると、主人はこう言ったそうです。「こんなに簡単なら、私もやります」。1カ月後、彼女は子供を抱っこして再び私の店を訪ねてきました。私は、「子供が生きてくれてうれしいです。本当に大法の奇跡です」と言い、彼女は微笑みながら頷き、しかし、まだ少し子供の健康状態が心配だと言うので、私は彼女に自信を無くさないようと励ましました。子供が1歳になったとき、彼女は喜んで、どの正常な子にも劣らず、健康で元気一杯に遊んでいると、様子を伝えに来てくれました。

 ある40歳を過ぎた男性はある日、大法の真相チラシを拾って、翌日私の店に尋ねてきました。真相資料を見た後、彼はその晩一睡も出来ず、法輪大法は本当に冤罪で、自分も真相資料を配りに行きたいと言いました。2007年の猛吹雪の中で彼は交通事故に出遭い、腰と足が折れて、病院で鉄の筋をつけてもらいました。その最も苦しい時期の中でも、彼は私が伝えた真相を忘れず、私が見舞いに行った際、彼に大法をお守りを渡すと、彼は再三感謝し、毎朝起床してから私から習った座禅をし、「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい」を暗唱していました。彼の病状は著しく回復し、年明けには自転車に乗り、6月ごろにはもう畑仕事もできるようになりました。8月の病院での再検査を終えてきた彼はこう言いました。「医者もびっくりしていました。これは医学界の奇跡だと言いましたよ」。私は彼に「これは大法の奇跡であり、あなたが大法を信じる故の福です。あなたがこんなに早く回復できたのは、あなたの心理状態にも関係がありますよ」と言うと、彼はこう答えました。「いずれによ、私は法輪大法の最も忠実な信徒です」

 私が接する範囲内の人の殆どは私が大法を修煉している事を知っています。全員が大法の真相を受け入れてはいませんが、しかし理容の事に関しては、私が一番だと言います。この近所にある大学の多くの若い先生や保安員達は私の常連客です。ほぼ毎日、私を褒めてくれる人に出会います。私は師父の教えを肝に銘じ、「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」(『精進要旨』「修めるものはおのずとその中にいる」)を覚え、常人との関係を正しく保ち、理性と知恵を持って穏やかに真相を知る環境を切り開き、全ての縁のある人が救われるように努めています。

 師父に感謝致します!

 同修に感謝します!

 合掌

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/27/249205.html)
 
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