十数年の風雨の中 修煉とキャリアを高める(一)
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文/山東省の大法弟子 小雅

 【明慧日本2014年2月21日】次の文へ

 法輪大法の修煉は、修煉者に次元の向上と知恵の開花をもたらします。法輪功に対する迫害がなければ、大法弟子はそれぞれの職場でもっと立派にできたはずです。けっして中共が中傷したようなものではありません。しかし、この邪悪な迫害によって、多くの大法弟子は一家離散したり、妻子と生き別れたり、精神的、肉体的に苦しめられました。私もその一人でした。しかし、それでも、困難と障碍の中で、私は依然として風雨のなかを歩み、修煉と仕事を両立させ、この身を持って大法の超常を実証しました。

 一、「職場の唯一のよい人は追い出された」

 修煉する前、私は軍隊に属する事業所で働き、人事部補佐をやっていました。仕事は気楽で待遇もよく、大勢の人は羨ましがりました。1997年の初め頃、27歳の私は修煉を始めました。大法は私に骨や心に刻み付けるほどの変化をもたらしてくれました。喜び、驚き、感嘆、感恩、その気持ちはとても言葉で言い表せません。あの頃、私の心は喜びに満ちていました。多忙な生活はまるで美しいメロディーのように、体のすべての細胞まで楽しく歌っていました。私の仕事もますます順調で、何度も上司に褒められ、管理職に抜擢される候補になりました。

 しかし、1999年7.20に始まった迫害は、心の準備が全くないまま、突然やって来ました。軍事関係の職場では、あの恐怖は民間会社より更に人を窒息させました。極めて難しい選択に迫られた後、職場の上司を巻き添えにしないように、彼らの大法に対する印象を悪くしないように、私は毅然として、会社で正々堂々と大法を実証しました。私は自分が大法弟子であることを公然と認め、反省文を書きませんでした。その結果は想像に難くありませんでした。私は事実上除名されましたが、この過程で、私は堂々と、大きな善と大きな忍を持って対処し、会社の上司に涙を流させました。彼らは私を除名したことを済まないと思っており、同時に心から私に感謝していました。なぜなら、私は特殊な方法で彼らの役人の地位を守ってあげたからです。北京から来たある上の部門の人は私と夜遅くまで話をし、大法弟子を深く理解しようとしました。彼は「あなた達は一体どうしてこれほど大法を実証することに夢中になるのでしょう? 家でこっそり煉功しては駄目でしょうか? どうしてそんなにおろかでしょうか?」と言いました。 私は彼の質問一つ一つに答えました。彼は最後に感心して、「もし私が個人経営者でしたら、間違いなく、あなたを雇います。あなたは本当に優秀です」と言いました。しかし、彼は私と賭けをして、「あなたのこのような行為はほどなく残酷な現実に報復されます。人は真空状態の中で生きていけません。物質的なサポートが無ければ、あなたはほどなく後悔するでしょう」と言いました。私は静かに笑って「師父がおられ、法もあり、すべての困難を私は克服することができます。私がここでよく仕事ができれば、他のところでも同じようによくできます」と言いました。

 職場の同僚は私が辞めるのを聞いて、みんな涙を流しました。受付室のお爺さんすら涙ぐんで、繰り返して「あなたは本当によい人だ」と言ってくれました。ある女性の同僚は(私が彼女のポストに取って代わったため、彼女は私をとても恨んでいた。その後、私は善良と寛容で彼女の恨みを溶いたので、彼女は私を高く評価してくれるようになった)他の人に「職場の唯一のよい人が追い出されました。この世は実に不公平です」と言いました。

 二、名と利を求めず、修煉もキャリアも向上する

 最初の職場を離れてから、私は正々堂々と北京に法を実証しに行きました。警察の残酷な暴力を受けましたが、小さい頃からとてもプライドの高い私は意外に平気でした。心の中に大法がある大法弟子にとって、騙されている可哀想な警官たちを恨むことができるでしょうか? 家に帰ってから、私は自分の心を整理して、自信をもって人材募集会場に行きました。私はすぐに中堅の民営企業に就職でき、事務室主任になりました。国有企業は民営企業に比べて福祉や待遇、またマネジメントの手法においてとても大きな違いがあり、国有企業からリストラされた多くの人はみんな辛い苦い経験を経て、ようやく適応できるようになります。しかし、私はそれらに淡白で、苦しいことを楽しいことにしました。

 ある夏の猛暑の午後、私は一人で倉庫の全ての物品を運び出し、きっちり整理しました。私の上着はびしょびしょになりました。社長が帰ってからそれを見て、とても驚いて呆然としました。彼はこの弱々しくみえる私がどうしてこれだけの苦労に耐えられるのか、びっくりしました。更に、私の冷静で穏やかな態度に対して、理解できませんでした。なぜなら、このことについて、私は全く口にせず、誇張したりしませんでした。私は心の中で、この程度のことは取り立てて言うほどの価値がないと思っていたからです。私の心に法があるから、生活の中の一切の苦しみは取るに足りないほど微々たるものでした。

 社長は私を大変信頼して、会社の多くの大事な事を私に任せて、絶えず私の給料を上げてくれました。私は仕事をきちんとすると当時に、時間があれば法を学び、家庭資料拠点も作り、外に出かける時、いつも周囲に資料を配り、衆生を済度しました。2003年、私は精進して修煉する以外に、自分のキャリアをもっと高め、もっと大法を実証しなければならないと悟り、国家人事部主催の経済師資格試験を受けました。勉強するには多くの時間が必要となります。学法、煉功をするだけでも、結構時間がかかるため、時間を節約しなければなりませんでした。私はバスに乗って勉強することにしました。試験の一科目は完全にバスのなかでマスターしたのです。最後に、私が受験したそれぞれの科目は合格点より30も点高い成績で経済師(人力資源管理)の資格を取得しました。私が中級資格を取得したことで、夫も私を尊敬するようになり、もう私に向上心がないと言わなくなりました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/2/7/286335.html)
 
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