明慧法会|「このお婆さんは仙人だ」(二)
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文/玉蓮

 【明慧日本2014年4月7日】

 師父の言われた通りになる

 私は2008年のオリンピックの前に畑で作業している時、警察に不当に連行されました。警察は私の肩をたたいて、「お婆さん、修煉をしないでください。あなたが『修煉しない』と言えば、すぐあなたを解放します」と言いました。私は「修煉します。法輪大法はこれほど素晴らしいので、私は絶対に修煉します」と答えました。彼らは表情をさっと変えて言いました。「このお婆さんはこんなに頑固で、労働教養を2回受けてもまだ修煉すると言っている」。彼らは私に、彼らが書いた修煉をやめさせるための書類に拇印を押させようとしましたが、私は手を握って拒否しました。数人の警官が一緒に握っている私の手を開こうとしましたが、なかなか開きませんでした。私は「何をしているのですか。拇印を押したくない人に、なぜ強制的に押させるのですか」と言いました。彼らは大笑いして、私の手を放しました。

 県公安局に着くと、彼らは私を拘留所に入れました。拘留所には多くの同修が監禁されていました。12日目に私は師父に「師父、私を15日目に助けてください」とお願いしました。本当に弟子にこの一念さえあれば、師父は助けてくださるのです。

 15日目になると警官は私の名前を呼び、私を解放しました。私が拘留所の門の前に着くと、部屋の中で私の名前を言って、解放しないと電話をしている声が聞えました。私は小さい声で「あなた達の言った通りにはなりません。私達の師父のおっしゃった通りになります」と言いました。隣の警官が「このお婆さんは何を話していたんだ」と聞きました。その時、背の高い警官が来て、大声で「放せ、放せ、早くしろ!」と叫びました。こうして私は師父のご加護の下で、拘留所を出ました。

 風、霜、雪、雨の中で衆生を救い済度する

 私は現地で大法修煉をやめない唯一の人間なので、中共(中国共産党)の重点的監視の対象になりました。しかし警察の車での尾行、各駅の厳密な検査、恐喝や脅しや尾行及び監視なども、私の歩みを止めることはできませんでした。師がいてくださり、法があれば大法弟子は何でもできます。

 ある日の深夜、私と主人は自転車に真相資料を載せ、近隣の村に行きました。村に入ると、私はまず資料の半分を持って配りに行き、主人は残りの資料と自転車を見守りました。一回目の資料を配り終え、残りの資料を配り始めると、後ろからパトカーのライトが私を照らしました。私はすぐ真相資料を抱きながら、「師父、覆ってください。邪悪生命に私が見えないように」と念じました。パトカーは明るくライトを照らしながら、私のそばを通り過ぎました。資料を配り終えて、主人のところに戻って来ると、主人は「あれ? 先ほどライトをつけているパトカーが見えなかったのですか?」と心配して言いました。私は「怖くなかったですよ。師父にお願いしましたから」と答えました。

 ある冬、私は突然辺鄙な村を思い出し、そこの衆生がまだ救われていないと思い、同修と一緒に早朝3時に資料を持って自転車で出発しました。十字路に着くと、どちらに行けばよいか分からなくなり、同修は「ここで待っていてください。私は見に行ってきます」と言いましたが、私は「行かなくてもいいです。師父にお導きをお願いしましょう」と言いました。しばらくして、一本の道が明るく見えてきたので、私は同修に、「分かりました。この道を進みましょう」と言いました。その時、突然男性の叫び声が聞こえて同修は怖くて震えていましたが、私が『洪吟』の「大法身を離れずして、心に真善忍存す、世間の大羅漢、神鬼は十分懼れる」[2]を3回唱えると、その叫び声はなくなりました。私達は前に進み、ある墓地を通過するとき、一つ一つのお墓が小さい窓のように明るくなってきました。私はまた師父の『洪吟』を繰り返して唱えると、明かりが消えてすべてが静かになりました。私たちが村に近づくと、その村は山の上にあることに気が付きました。山道には雪が積もっていて滑るので、私たちは苦労して自転車を山頂まで押しました。村に入ると犬が吠えましたが、私たちが正念を発すると犬は吠えるのを止めました。このように正念を発しながら、真相資料を各家庭に配りました。私たちが家に帰るとき、まだ夜が明けておらず、前から一輌の馬車が来て、上に座っている人が「あなた達は人間ですか? 鬼ですか?」と叫びました。私は「神です」と答えると、野原の中に私の声が「神、神~」とこだましました。

 1週間が過ぎ、17歳の少女が靴の修理に来ました。彼女はあの村の人でした。私が「法輪功の資料を読みましたか?」と聞くと、彼女は「読みました。DVDも見ました。天安門の焼身事件がまさか偽造したものだったとは!」と答えました。そこの衆生が救われ済度されました。私は行ってよかったと感じました。

 2002年のある夜、私と主人は横断幕を掛けに出かけました。長い横断幕ですが、私たちは電柱にかけるとき、上へ押しながら、「師父、加持してください」と言うと、横断幕は自分で上へ登っていきました。このように、私たちは一晩で40数枚を掛けました。翌年の3月まで、一部の横断幕はまだ上にありました。私たちはこれらのすべてを師父が加持してくださり、すべてを師父がしてくださったと分かりました。

 『九評共産党』が発表されてから、私はそれを一戸一戸に配りました。ある日、大雨が降ってきて、私は家で学法しているとき、突然「人を救う」という一念が現れ、すぐノートとペンを持って出かけました。近所の家を訪ね、この一家に「今日は実はあなたたちを救うために来ました」と言いました。彼らが「なぜ?」と聞いたので、私は「種々の災難全て頭上にぶら下がる」[3] を伝え「テレビの話を信じないでください。天安門焼身事件は捏造です」と説明しました。彼らは私にいろいろと聞いてきたので、私は一つ一つ答え、三退の重要性も説明しました。彼らは「なるほど、法輪功は私たちを救いに来られたのですね。私たち一家は全員三退します」と言いました。

 続けて他の家を訪ねて話した後、その一家はみな三退しました。ベッドに座っている80代のお婆さんは「私の名前も書いて」と叫びました。お嫁さんが「あなたは中共の組織に入ったことがなく、何を書くのでしょうか」というと、お婆さんは答えました。「私は法輪功がすばらしいと分かったので、私も表明します。法輪功は私を必ず守ってくださいます」

 次に、私は公社の役人の家を訪ね、真相を伝えました。「役人なので、実名を敢えて使いたくなければ、仮名でもいいですよ」というと、彼は「仮名にしません。法輪功は私たちを救いに来られたので、私たちは法輪功を騙してはいけません。実名でいいです」と言いました。私は衆生が本当に救われるのを待っていると感じました。

 その日、家に帰ってきて、三退した人を合計すると57人でした。その時、私の頭の中に師父の声が聞こえました。「あなたの誓約と比べると、救われた人はまだ足りません」。私は驚きました。なぜ満足する心が現れたのでしょうか? 師父に申し訳ないと考えました。翌日、私は引き続き一軒一軒を訪ねると、とても順調に村の大部分の人はみな中共の党、団、隊を退出しました。

 またある日、私は山の上にある一軒を訪ねました。真相を伝えて、『九評共産党』、お守り、カレンターをあげました。麻雀で遊んでいる人たちが「私たちの分も残しておいてください」と言いました。その日、部屋の中にいる12人はみな三退しました。

 私は一軒一軒訪ねるだけではなく、随時人々に真相を伝えました。ある日、私は40代の男性に遇い声を掛け、中共の党、団、隊に入ったことがあるか否かをたずねました。彼は私に「何を信じているのですか?」と聞くので、私は「法輪功を信じています」と答えました。彼は「まだ法輪功をしているの? うちの村のある法輪功修煉者は連行されたよ」と言いました。私は「孫悟空は五行山の下に500年閉じ込めれて、出て来たらどうなったでしょうか?」と言いました。彼は覚悟したように、「なるほど」と言い、同時に三退を表明しました。私たちが真相さえ正しく話せば、衆生が救われます。これは法を多く勉強することと関係し、法は私たちに知恵を与えてくださるからです。

 またある日、車に12人乗っているのが見え、私は「これは私の衆生です。救わなければならない」と一念を出し、彼たちに「皆さん、三退して安全を守りましょう」と大声で言いました。彼らは「なぜ三退する必要があるのでしょうか」を聞くので、私が彼らに説明すると、彼らはみな喜んで三退し、ある人は「このお婆さんは仙人だ」と言いました。

 (完)

 (明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 注:

 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟・威徳』

 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟三・何故災難が多いか』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/7/282007.html)
 
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