時間が迫っているので、砂にならないように
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年4月13日】以前、同修が「邪悟者」のことを話したことがありますが、具体的にどのような状態なのかわかりませんでした。あるとき、同修が私を連れ交流に行った時、私はやっと邪悟者のかわいそうな面を知りました。彼らがやったことは泣くに泣けず笑うに笑えず、本当にどうしようもありませんでした。邪悟者達はいつも時間通りに彼の家に来ており、遅れる人がいたら怒られます。彼らは『転法輪』を読む時間がなく、煉功もせず、新しい経文も読まず、明慧ネットも見ません。邪悟者達は集まると、畑の仕事をやったり、家畜を飼ったり、そして家畜を殺させるなど、他にもいろいろあります、今はっきり覚えていないのですが、彼達は毎日仕事のようにやりますが、給料はありません。その時、私は非常に驚きました、どうしてそんなに愚かなことをしたのか。もともと、邪悟者達のことは小さい石くらいにたいしたことはないと思っていましたが、今、事情が分かり、この問題が巨大な山のような存在に感じました。私はあまりの驚きとショックで倒れそうになりました。彼らは完全に法に背離していました。当時、その場所に20~30人の人がいて、その場所から遠く離れたところに、さらに100以上のグループがありました。その後、幸いなことに、同修達は一人ひとりの邪悟者を連れ戻し、一緒に交流できる機会をあげました。連れ戻した同修は、邪悟状態になったときのことを言い出すと、涙ながらに話してくれました、そして自分の過ちを分かり、修煉の道に戻りました。

 私は『何を実証するのか? ◎師父評註文章』を読み終えた後、考えました。現在、大法弟子は三つのことをやり、衆生を救い済度することを行います。師父は何回も残り時間があまり無いことを説かれましたが、どうしてこのようなことが起きたのでしょうか? 2013年3月7日に明慧ネットは『顕示心を取り除かないと危険が深い ◎師父評注文章』を発表しました。私の直感では、真に修めていない人は危ないです。師父の慈悲という大切なものを子供の遊びにして、毎度毎度のチャンスを逃して、本当に砂はふるいにかけて落とされてしまいます。「師父が見ており、神々も見ており、誰もが然るべき果位しか得られません。」[1]「修は己にありて、功は師にあります。砂はふるいにかけて落とされるのです。」[2]続いて明慧ネットは2013年3月8日に『通告』を発表し、「二人はいずれも法輪功学習者ではありません。」と書いてありました。私達は大法弟子として、今の時間を大切にし、しっかり自分を修め、若者の感情的な問題、これから人生に対しての憧れなど、さまざまな執着心と観念を取り除かなければなりません。「七十情、六十欲以上あり、そうではありませんか?」[3] 本当に残された時間がありません。ですから、どんな執着心でも捨てなければ危ないのです。私達は正念を持ちながら物事を判断し、自分の一つの考え、一つの念を正し、理性的に三つのことをやりましょう。さらに多くの衆生を救い済度するのが、私達法を正す時期の大法弟子の使命と責任であるので、砂にならないように、しっかりした大法弟子になりましょう。

 注:
 [1] 
李洪志師父の経文:『何を実証するのか? ◎師父評註文章』
 [2] 李洪志師父の経文:『顕示心を取り除かないと危険が深い ◎師父評注文章』
 [3] 李洪志師父の経文:『大法弟子とは何か』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/3/12/270858.html)
 
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