「毎日法を暗記しても なぜ問題が解決しないのか?」
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 明慧日本2014年6月12日】朝、私は学法をしているとき、ある疑問が生じました。私は「毎日法を暗記しているのに、どうして私の問題は解決しないのでしょうか?」と考えました。その後、私が悟ったことを、ここで述べたいと思います。

 「佛法」は無辺の法力があります。しかし、あなたは1回『転法輪』を読んだら、すべての執着心を取り除けるわけではありません。もしそのようなことができたら、「修める」必要がありません。肝心なことは修煉の過程で、しっかり「修める」ことです。

 執着心を放下したくないため、妨害をもたらしたり、身体に不具合が起きたり、それは関をうまく乗り越えられず、問題が溜まっているせいです。かえってあなたは、どうして自分の人心と身体を変えられないのかと思い、「佛法」の威力がないと愚痴を言います。それは、自分に質問してください。どうして取り除くべき執着心をまだ取り除けていないのですか? そう思う一方、自分を放任したり、執着を助長したりしています。誰を恨んでいますか? まさか、あなたは執着心を助長しているとき、あなたの人心も取り除けると思っているのでしょうか?

 あなたは毎日学法したり、法を暗記したり、他の同修と比べて、自分がよくできていると思い込んでいますが、さらに他の人より優れていると感じました(この執着心は正しくありません)。法を暗記すること自体が修煉の次元を量っているではないでしょうか? 師父は「宗教の中では修めることを重視していて、修行と呼んでいますが、これはまた別の極端に走ってしまいました。出家人は努めて経書を読み、呼んだ経書の量を圓満成就の方法と見なしています」[1]とおっしゃいました。肝心なのはしっかり修めることです。大法弟子の中に、知識と学歴の低い農村の人もいます、しかし、皆しっかりと修めています。私達はただ法を暗記するためだけではなく、着実に修めるために、法を暗記しているのだと思います。

 しかも、学法を通じて、問題を解決しようと思うこと自体は、執着です。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「修煉とは何か」

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2014/6/5/293037.html)
 
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