新しい修煉者:大法の師父は肺癌の妻を救ってくださった
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文/中国・山東省の大法弟子

 【明慧日本2014年6月21日】私は新しい修煉者ですが、法輪大法のすばらしさについて述べたいと思います。

 2007年の秋、私の妻は病気になり、市の病院へ行って診察を受けましたが、医者は肺に悪質な癌ができているが、手術ができないので、化学療法で治療するしかないと言いました。化学療法で一通りの治療をしましたが、病状が好転しないので、医者は痛み止めの錠剤を出し、帰宅するように勧めました。医者は 「もう60歳近いので、食べたいものがあれば何でも食べてください。どの病院へも行く必要はありません」と言いました。妻を連れて帰宅したあと、いくつかの準備をし、経帷子(訳者注:仏教の死に装束)も準備しました。

 何とか生き延びようとしても方法がない状況のもとで、私は妻を彼女のお姉さんの家につれていきました。お姉さんは法輪功を修煉しており、そこで4日間、お姉さんは「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」と声を出して念じさせました。そして師父の広州での講法を聞かせて、煉功の動作を教えました。そのうちに食事をすることも、座ることもできるようになり、師父は妻の体を浄化してくださり、いくつかの汚いものが糞便に出ましたので、妻は不快に感じ、その時は師父が彼女の体を浄化してくださっていることもわからないまま、タクシーで家に帰りました。

 妻は1冊の『轉法輪』を持って帰りました。私は妻が字を読めないと知っていましたが、妻は大事にこの本を抱いて眠り、目が覚めると本を開いて読み、心の中はとても興奮して、感激の涙がひとしきり流れました。妻はいくつかの煉功の動作を学びましたが、立って煉功が出来ないので、座って煉功しました。10日後のある日、ベッドから降りて動くことができたので、村の定期市までちょっと行ってみたいと自分で行きましたが、少し行くと具合が悪いと感じて、嘔吐したくなり、家へ戻ろうとしましたが、途中で嘔吐が始まりました。ひとしきり嘔吐して、腹の中の汚水や塊をすべて吐き出しました。家に帰って、「私はもうだめです」と言って、ばったり倒れてオンドルの上でずっと寝ていましたが、夜になって目が覚めたとき、彼女は良くなって、病気がなくなったと言いました。

 それから私は妻が『轉法輪』を学ぶのを手伝いました。妻は字が読めませんが、私は読めます。妻は始めのころはわからないところを私に聞き、そんなに進んでいませんでしたが、一心に勉強して、師父の講法の映像を見て、煉功しましたので、妻の体はだんだん良くなりました。私はその時は常人で、大法の事がよくわからないので、病院へ検査に行くよう勧めました。妻はまだ少し咳をして、時には風邪を引いたような症状でしたので、私は注射をして薬を飲むように強く勧めましたが、妻は話を聞かずに、法を学んで煉功することを堅持しました。私はその時、「3年待って、あなたが本当によくなったら、私も信じます」と言いました。

 2010年になって妻は本当にすべて良くなりました。彼女は60歳をすぎていますが、病気がなくなり、健康になりました。妻を治療した医者も奇跡だと言いました。私は心から大法に感謝し、心から師父に感謝し、私も学法して煉功したいと思いました。私達はともに学法して煉功し、師父の言われるように行動しました。

 妻は文盲でしたが、『轉法輪』を読むことが出来るようになり、自転車に乗って外出し、仕事をすることもできるようになりました。そして知人に、「私は煉功してよくなりました。大法の師父が私を救ってくださったのです」と言いました。

 私は心から師父に感謝し、学法して、三つのことをしっかり行おうと決心しました。私が修煉を始めたのは遅く、新しい弟子ですが、必ず精進して、多くの人を助けます。私は真相資料と光ディスクを持って、まず自分の村に配り、つぎに近くの村落に配り、時には定期市で配りました。ほかの同修が資料を配るとき、手伝いました。

 神韻の光ディスクを2年以上配り続けていますが、私の体はどんどん良くなりました、私はたばこを吸わなくなり、酒も飲まなくなりました、60歳を過ぎていますが、足どりは軽く、どんな畑仕事もすることができます。息子といっしょに畑の仕事をして、毎日やっても疲れる感じがありません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/6/15/293464.html)
 
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