文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年11月30日】私は会社の会計係として勤めています。親戚が今のオーナーと連携して30人ぐらいの会社を立ち上げました。親戚は外地におり、経営に関与していません。私は親戚に代わって帳簿を管理しています。出納係はオーナーの奥さんです。一般の人から見れば、私の役割はつまりオーナーを監視するということです。オーナーも当時、少し不満があり、自分は信用されていないとの思いでした。
「これらの従業員は法輪大法を学んでから、早く出勤し遅く退勤するようになり、コツコツと働き、上司から与えられた仕事は何でも文句無しに受け入れ、利益をめぐって争うこともなくなりました」と、私は師父が説かれたように行いました。
私たちの会社は廃業して数年の工場を借りました。最初工場に来た時、草が高さ2メートルぐらいもありました。私は工場の社員と同様に、草を抜いたり、庭を整理したり、工場の建物を建てたり、設備を運んだり・・・、汚くても、重くても恐れず、いつも積極的に行いました。半月ぐらい経って、オーナーは嬉しそうに私に言いました。「ここの仕事はもういいから、帳簿を付けてください」。実はその時、事務室の仕事は全くありませんでした。
私が会社に就職した時の月給は1500元でした。男性の会計係として本当に多くありません。修煉者としてこれらのことで言い争うことはできません。師父は私たちに「修煉者は自然に任せることを重んじるべきです。自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」[1]と教えてくださいました。
出納係の奥さんは財務をしたこともなく、総務や事務所の管理も経験がありません。そこで、私はすぐに自分に分かっているすべてを漏れなく心から彼女に教えました。実は大部分の仕事はすべて私がしたのです。恐らくオーナーが、私たちのような人は信用できると感じたのだと私は思いました。工場が正式に操業し始めた時、私はオーナーからもう一つ、食堂の食材の仕入れの担当を任されました。次第に会社が形になり、オーナーは経営と販売を担当し、私が会計と半分の出納、総務、事務所のほとんどすべての事務を担当します。奥さんはめったに出社しなくなりました。
会社の金庫には鍵が二つあり、私とオーナーが一つずつ持っています。私たちはお互いにとても信用しています。何か重大な問題があれば、私の意見を求められます。私たちはとてもうまく協力しています。オーナーはいつも私のような修煉者を見つけて、会社にきてほしいと言っています。オーナーはとても有能な人で、正直で温厚な人です。徳を重んじるからでしょう、会社の経営はうまくいっています。親戚とオーナーはまたそれぞれに会社を設立しました。全て私に会計を任せています。私の給料はもちろんたっぷりあります。
私は仕事の関係で、たくさんの人と接触しており、自然に法を実証する環境の場になってきました。食堂の食材と原料の仕入れの仕事は、一般の人から見れば、私腹を肥やす仕事と思われているので、当初多くの商人は全て私にメリットを与えたいと考え始めました。私は自分が法輪大法の修煉者だと彼らに教えました。
原料を販売する人に、50歳過ぎで、会った時、彼はいつもお酒の瓶を手にしていました。服装もきちんとせず、とても老けているように見えました。一度、彼に10元のお釣りを払うべきだったのですが、小銭がなく、彼は要らないと言いました。私は「それは駄目です。あなたから利益を得るわけにはいきません。あなたも無理をしないでください」と言って、100元を渡して、おつりをください」と彼に要求しました。
彼は私が他の人と違うと言いました。そこで彼に「私は法輪大法を修煉しています。私は他人から利益を得ることはありえません。それは徳を失うことになります」と言いました。そして、引き続き、共産党の腐敗と道徳の滑落が人に危険をもたらすなどを話しました。彼は喜んで三退しました。
私は「このようにお酒を飲むのは体にとても良くないですよ。時間があったら『法輪大法は素晴らしい』『真・善・忍は素晴らしい』と念じてください。体にとても良いですよ」と彼に言いました。しばらくして、彼は私に会うたびに、いつも大きな声で「法輪大法は素晴らしい」と叫びます。彼は精神状態もとても良くなり、お酒の瓶も持たなくなりました。
その年、彼は私から10枚の神韻DVDを持っていきました。彼は「これは本当に素晴らしい。私の親戚や友人にも見てほしい。皆が法輪功を修煉すれば、この社会もよくなります!」と言いました。
このような例はまだたくさんあります。時間が経つにつれ、私が本当に利益を貪る人ではない、公正であると、商人たちに分かるようになりました。誰かが私にメリットを与えようと意思表示すると、彼らはいつも「法輪功を修煉する人だから、正直です! そのようなことはできません・・・」と言っています。
現在の社会で多くの人は私が馬鹿だと思っています。しかし、私の「頭上三尺に神あり」[1]と分かっています。自分が何をしてもすべて記録され、すべて返済しなければなりません。私はこのようにして、とても素晴らしいです。リラックスして、平然として、何の不足もありません。
師父に感謝いたします! 大法に感謝いたします!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』