大法弟子らしくなるように、自分を表面から正す
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文/米国の大法弟子 林燕

 【明慧日本2014年12月8日】今年、幸運にサンフランシスコでの法会を参加できました。会場で、師父の説法が私に涙をいっぱい溢れさせ、とても震動されましたが、帰ってくると、自分の変化はあまり大きくないと自覚しました。最近、自分が最も感じたのは、自分が「真、善、忍」の表面においての法理までまだ達しておらず、深く修煉上の不足を感じました。

 師父は『轉法輪』の中で「真・善・忍は良い人か悪い人かを判断する唯一の基準」と説かれました。この経文を何回も読んでいましたが、しかし、中の法理を悟りませんでした。最近起きた小さい事を通して、真善忍の常人の次元での法理について新たな認識がありました。

 真を修める

 先週マスコミで発行をしている同修の修煉体験が私を感動させました。同修の純正な心、話の誠実さ、心から他人を評価する態度と行い方に、私は敬服しました。

 自分はもう長い間、同修の長所を見つけようとせず、なお更同修を高く評価するどころではありません。あのような真心で他人を思い、心を開いたやり方こそ、修煉者にあるべきです。師父は『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』の中で学習者の質問で「弟子:メディアの環境はとても複雑で、周りの学習者も同じように感じています。腹の探り合いなどは時には常人よりも多いのです」という質問に対し「師父:誰も相手を信用せず、本音を言わなくなり、誰も相手を指摘せず、誰も内に向けて探していません。これならもちろん複雑になります」と説かれました。

 私の理解では、自分を守る心を放下するなら、誰もあなたを傷つけることができません。トラブルや摩擦、耳を逆らう言葉に遭遇する時、心が辛く、不平に感じる時、即ち向上する機会がやってきました。私たちがそれぞれ自分を清らかにし、「真」をやり遂げ、私たちの環境をやっと浄化できると認識しました。

 善を修める

 私たち夫婦は毎日子供(同修)に法を勉強させる必要があります。私の番になると、「あなたたちは法を勉強しているのではなく、まるで命懸けでやり合うようだ」と主人(同修)が言い、まさにそのようです。子供と数段落を読んで、私はすぐに子供の動きや気にしない態度に、思わず怒ってしまいます。そして、子供は更に激しい行動や言葉で反抗してきて、私がついつい保護者の身分で彼を圧倒して、負けてもらっています。

 主人は私と交流して、「私たち3人が一緒にいると、家族らしくなく、仇のようです。互いに『善』を成し遂げておらず、表面の善すらできていません。話も行いも往々にして家族ゆえに口を修めず、自分を制御しないのです」と言います。

 このたび、サンフランシスコに行ってマスコミの会議に参加して、ある青年の発言に大きなヒントをもらいました。以前私は、直接邪悪を暴露する文章を書くことこそ真相を伝えていて、やりがいがあると間違った認識がありました。今、私の理解は、他の文章を書く場合、もし真心から読者のために考え、適切な角度から、読者に関心と善意を感じさせれば、これも一種の真相を伝える方式です。大法弟子が大法を実証する一種の方式です。中国の読者はとても聡明だし、しかも本当の善なのかと偽りの善なのか、時間の経つにつれ簡単に識別できます。家族にも、同修にも、プロジェクトの仕事に対しても、みな善をもって対処するのは、基本中の基本です。

 忍を修める

 数週前の土曜日、新聞に連続して二箇所が重複して、それを見つけた私はとても腹を立てて、責任者の同修に文句を言いました。同修は「その同修が仕事において確かに問題があります。しかし、あなた今の心の状態と態度も同じく問題があります」と言いました。この話を聞いた私が冷静になり、自分を制御せず、基本的な忍もできていないと分かりました。

 自分の性格がよくないと思う同修は少なくないと思います。私の性格もよくありません。常人の中の面倒が絶えず起こり、三日も穏やかに過ごせる時がありません。面倒がやってきた時、本能から人間のやり方で対応してしまい、自分が表れてきた心を修めていません。

 「師父がこのように要求しても、現実に戻れば、またお互いに気に入らなくなります。現実に戻れば、現実の利益、個人の執着に動かされ、今の心の状態ではなくなります! 自分自身が修煉者であることを分かっていなければなりません。皆さんにどれほど大きな責任があるのでしょうか!」[1]

 会場で師父の説法を拝聴した時を振り返ってみると、心がとても純粋で、何の考えもありませんでした。それは師父の洪大な慈悲のエネルギー場の下で、私たちの思想を浄化されたからです。しかし、自分のあれらの執着と形成した党文化、観念は自ら変えなければなりません。

 常人の中で形成した性格、誰に対しても「晴れる日」が少なく、それは不正のものです。常人の次元の理から見ても、修煉の角度から見ても、修するべきものです。私たちに法会でのあの状態を保つよう、正しく自分の道を歩み、手を繋いで世間に向かって法を正すあの日まで歩んで行きましょう。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/17/300300.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/29/147096.html)
 
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