縁は大法に帰する(青年漢方医師)
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文/四川省の大法弟子 

 【明慧日本2015年6月7日】私は2010年に法輪大法を学び始めました。この四年来の修煉を振り返ってみますと、師父の慈悲、大法の素晴らしさについて語り尽くすことができません。

 一、縁は大法に帰し、幸福が訪れる

 私は独学で漢方を勉強し、漢方診療所や薬局を経営しています。健康医学についてとても興味があり、絶えず追求していました。筋肉トレーニング、気功、ヨガ、太極拳、漢方などあらゆる健康法をやっていましたが、慢性疲労は一向に良くなりませんでした。その後ちょっと動くと喀血するようになり、歩行するのも困難になりました。

 現代医学では私の病気を治すことができないとは分かっていました。そんなある時、友人が「肝硬変末期の人が法輪功を学んで完治した」と話してくれました。私は「法輪功」という三文字を聞いて、心が震撼し、また法輪功修煉者の「真・善・忍」に対する信仰について聞き感動しました。今のような時代に「真・善・忍」を信仰する人たちがいるなんて、どんなに素晴らしいことでしょう。そこで私は必ず法輪功を修煉すると決めました。そして私はその肝硬変が完治した修煉者を探し出して、その人から『轉法輪』と、煉功ビデオを手にすることができました。

 法輪大法を学び始めたころの私は、病気を治したいという求める心を抱いていて、ただ煉功することを重視していました。『轉法輪』を一度だけ通読してから、常人が知りえぬ道理がわかり、よい人になり、心霊を浄化すれば、病気が治ると分かりました。学法していなかった身体を、師父が浄化してくださり、私はほんの短い期間で病気のない軽やかな気分を味わうことができました。

 その頃の私はまだ独身でしたが、師父は私に申し分ない結婚を按排して下さいました。主人は私と同時期に修煉を始めた大法弟子です。そして一年後には我が家に綺麗な女の子を授けてくださいました。私は自宅で私自身の手で帝王切開して子供を出産させたのです。現代医学では奇跡と言えるのではないでしょうか。この出来事が多くの人に知られ、みんなが大法の素晴らしさを知る良いきっかけになりました。

 この子供はもう2歳になり、病気をしたことはありません。大法のエネルギー場の中で、子供はすくすくと成長しています。合掌して挨拶ができ、「法輪大法は素晴らしい」「真・善・忍は素晴らしい」と話すこともできます。人々は娘に会うと親近感があるように見え、みんな親切にやさしく接してくれます。

 娘が生まれると同時に、師父が娘を世話するために、従妹を按排して下さいました。従妹はひどいわきが症で我が家に来たときはとても臭いました。私は、彼女に法輪功の真実を伝え、彼女は共産党組織から脱退しました。すると、その後彼女のわき臭が治り、病気がちだった彼女が、風邪すら引かず現在に至っています。私たち夫婦との付き合いも親密です。

 経済的にも、修煉後は二人とも収入が大幅に増え、私の経営も新記録を更新し続けています。親戚や友人は、私の幸せで円満な家庭を羨ましかり、同時に大法の素晴らしさを認めてくれています。私たちは知っています。学法を通して名利心などの執着心を放下できれば、物事がスムーズに進むことを。師父はおっしゃいました。「ですから心性を強調し、全体の向上、昇華を強調するのです。心性が向上すれば、他のものも向上します」[1]。

 二、師と法を信じ,三年で数々の魔難を乗り越える

 私が住んでいる街は状況が特殊で、同修との接触がとても難しく、私は99年以降の経文を持っていませんでした。ある時、私は、2011年5月法会で同修が発表した文章から、真相を伝え衆生を救うことの重要性を知ることができました。そして私はDVDをコピーする機械を購入し『私たちは未来に告げる』というDVDをコピーして、手元にあった『共産党に対する九つの論評』と一緒に配布し、出会う人に直接大法の真相を伝え始めました。最初のころは真相を伝える事を通して修煉できた喜びが大きく、恐怖心がありませんでした。真相を伝える中、老若男女を問わず合掌して私と一緒に「真・善・忍は素晴らしい」「法輪大法は素晴らしい」と念じてくれました。

 その後、私は歓喜心や仕事する心が現れました。病院の経営を止め、建物を売却すれば、その資金で全身全霊で真相を伝えることができると思ったのです。しかし同年10月に強制連行され、私は収容所に送られてしまいました。私はこの未経験の試練の前にも恐れていませんでした。私は大法への迫害が始まってからの経文を読んだことがありませんでしたが、修煉者として、どこにいてもよい人でなければなりません。私は師父がおっしゃった「殴られても殴り返さず、罵られても口答えしません」[2]という法を心に刻みました。私は仕事を一生懸命にやり、心の中には師と法しかありませんでした。師父が弟子の受難の多くを肩代りして下さった事を思うと、涙が止まりませんでした。私は時間があれば『洪吟』を暗唱していました。すると警官の指図で私を殴打していた囚人が、手かせや足かせを掛けられ、私は皆から尊敬されました。その後、収容所で身体の健康検査をした際、師父は私の身体に病業をつけて下さいました。そして、私は健常でないことを理由に収容所からわずか15日で解放されました。

 家に戻ってから師父の加持もあり、私はインターネットの封鎖を突破するソフトを入手し、明慧ネットを閲覧することができるようになりました。そこで初めて師父の説法を読むことができました。それから技術担当の同修に協力してもらい、我が家にも真相資料作りの拠点をたち上げることができました。

 私が住んでいる地区は中・高所得者の居住区です。各マンションには防犯設備が設置しており、私はマンションには真相資料を届けず、一軒家の玄関にきれいな真相資料を貼り付けました。数日後、従妹から、誰かが私の事を通報し、保安局と公安局の人が来て調査している事を聞きました。調査の中で私の容貌を話した人もいたそうです。しかしそんな話を聞いても私は心が動じませんでした。私は師父がおっしゃっているように、問題があれば内に向けて探し、仕事する心、歓喜心、そして恐怖心があったことを見つけ、それらの執着心が、邪悪に隙を与えてしまった原因だと分かりました。すべてのことは師父が決めてくださる、人心で物事を考えてはなりません。私は平静を保ち発正念し続けました。それから何の問題も起きませんでした。後になって、保安局の人が来て言ってました。「あなたが真相資料を貼り付けていていた事はわかっていた。証拠のビデオも撮っている。ただここに来ていないだけだ!」と。

 いつも私はバックに真相資料を入れています。ある時、私は子供を連れて出かけ、不注意でバックを紛失してしまいました。その中には身分証明書や携帯電話も入れていました。拾った人が区役所の警備室に届け、役所から連絡がありました。私は師父の洪大で慈悲な場が、どんな邪悪要素も溶かすことができると思いました。私は自我を放下して、真の大法の一粒子らしく、役所に向かいました。警備員の前に立った私は、とても神聖な感じを覚え、警備員も私をよく知っている人のように優しく、私としばらく話して、バックを渡してくれました。師父は一つの魔難を溶かして下さいました。

 次に私が遭遇した魔難は、同修と一緒に真相資料を配布していた際、警官が張り込みしていた家に資料を入れたため、再び強制連行され、拘置されました。私は邪悪の迫害に直面しましたが、恐れることなく、内に向けて探しました。その結果5日間拘留された後、解放されました。

 通行人に真相資料を配る時は、私は「法輪大法は素晴らしい」と話して、資料を渡します。どうしても資料を取りたがらない人には無理に渡していません。こうすると後で資料を捨てられるのを防ぐことができます。ある日、川の岸で話している二人の男性に資料を渡した時、片方の男性が不思議そうに「なに、なに?」と聞いていました。私は「法輪大法です」と答えました。彼は顔色を変え「バックの資料を全部出せ」と叫び、近づいてきました。私は彼を直視して、落ち着いた心で「止まれ」と念じました。すると彼はもとの位置に戻り、動けなくなりました。私は安全にその場から立ち去ることができたのです。

 2014年6月、邪悪は法輪大法修煉者を告発すれば多額の賞金を出すと大規模な宣伝をしていました。その頃、私は薬局で軍曹に真相を伝えていた際、610弁公室に告発されてしまいました。役人が来ましたが、私は彼らの目を直視して、発正念しました。彼らは「この店の経営者は誰?」と聞きました。「私です」と答えると、彼らは何も言わずに帰っていきました。私はすごく残念だと思いました。慈悲が足りないために、彼らに真相を伝えることができませんでした。いつも師父は魔難を溶かして下さっています。

 迫害を振り返ってみますと、私の悟りではすべて私の仕事する心、顕示心、歓喜心、恐れるなどの物質があり、修めておらず、法に同化していないため、人心によって魔難を招いてしまいました。同時に悟ったのは、一切は師父が掌握しており、すべてが私の執着心と業力を取り除くために按排された、私を洗浄するための魔難です。私の心に法があり、師父があれば、誰も自分を動かすことができません。師父は私たちに教えて下さいました。「本当に正道によって修練すれば、誰もあなたを勝手に傷つけたり、することはできません。それに私の法身に守られているので、何の危険も起らないのです。」[1]

 三、真相を伝える中で自分を昇華させる

 私はどこに行っても真相を伝えており、それは使命だと感じています。しかし出かける前は、毎日足が重くなっていました。私は学法を通して、この状態を打破することができました。私の悟りでは、世間には多くの邪悪がいて、世人は多くの良くない観念で彼らにコントロールされています。師父から私たちに授けて下さった能力は、邪悪生命を取り除くためではありませんか? まさに師父がおっしゃたように、「難中に金体を煉し」[3]ではありませんか? これらを悟った時、邪悪は微々たるものと見え、自分は師父の正法を手助ける王だと思え、私は真相を伝え、衆生を救っていました。

 私は毎日家から会社までタクシーで2回往復しています。私はタクシーに乗車すると、1分ほど発正念してから運転手さんに話しかけ、真相を伝えられる方向に話をもっていきます。どんな巨漢で怖そうな人でも、穏やかになり素直な子供のように話を聞き、三退に同意してくれます。時には真相を詳しく聞こうとして車を止める運転手や真相資料を求める運転手さんもいました。また「今日、あなたに会えてとても嬉しいです」と言った運転手さんもいたのです。

 最初のころ、私は薬局に訪れるすべての客に真相を伝えていました。真相を受け入れる人、もう来ない人、汚い言葉を吐く人がいました。私はこの状態について内に向けて探しました。自分は果たして智慧と慈悲をもって理智的に真相を伝えることができたのでしょうか。

 お客さんに真相を伝える時は、運転手さんに真相を伝える時と違い、相手との距離を近くし、ゆっくりと話を聞く時間があります。しかし客によっては忙しくしており、足止めするのは難しく、しかも邪党に対する恐怖心も重いのです。私は自分の修煉状態を調整し、まず客に良い印象を与え、次回にチャンスがあれば真相を伝えることにしました。このようにしてから真相を伝える効果がよくなりました。一度きりの客に対しては、相手の受け入れ能力によって真相を伝えました。

 この数年来、対面で直接真相を伝える機会は毎日のようにありました。その中で数点の認識がありますので、同修と交流し切磋琢磨したいと思います。

 1、師父はおっしゃいました。「彼らの記憶を蘇らせ、彼らを悟らせ、呼び起こし、彼らに歴史とこの世界の真相を伝える人が現れる必要があります」[4]。師父は古代の輝く中国から、現代の中国共産党の統治下で腐敗し腐りきった中国、そして共産主義が途絶えてしまうことまで語られました。古今を比べれば、邪党の枠外で物事を見ることができれば、はっきりと中共の本質を見抜くことができます。私はこのような視点から真相を伝え、三退を勧めればいいと思います。特に真相を拒絶するような知識人には、受け入れ安く、心から敬服されます。

 2、もちろん真相を伝える素材の準備も重要ですが、最も重要なのは慈悲の心理状態なのです。真相を伝えに満足すること自体が、すでに邪悪に隙を与えています。真の慈悲は一切の邪な要素を解体することができ、多く語らなくでも相手を三退させることができます。

 3、大法弟子として、心の中で分かっていなければならないのは、すべては師父がなされているのです。「修は己にありて、功は師にあり」[1]なのです。真相を伝える中で褒め称えられても、挫折があったとしても、すべてが試練であり、心が動じてはなりません。以前タクシーの運転手に真相を伝え始めた時、数日後にある運転手が私を告発すると言いました。私の心が動じなかったため、彼は私を動かすことができませんでした。下車後、冷静に内に向けて探し、自分には汚い顕示心、歓喜心、嫉妬心が見つかりました。

 4、真相資料を配布する際、相手の受け入れ能力によって配らなければなりません。私は資料を受け取ってくれた人々に、聞いたことがありますが、彼らはとても素晴らしい資料だという人、読んでもよく分からないという人、怖くて読まない人などがいました。人を救うとすれば心を込めて、彼らのことを考えてあげなければなりません。たとえば神の存在を信じる人には、『天から賜る幸福』という小冊子を配り、文学が好きな人には、『天地蒼生』を配り、求道する心のある人には、『未来人の神話物語』を配ればいいと思います。もし世人が資料を捨て去れば、業を造ったことになります。真相を理解し受け入れた人には、この真相を身内や友人に伝えるように勧めます。そうすればさらに多くの人々が真相を知り救われ、彼は福徳を積むのです。

 この4年間修煉の路で遭遇した困難、魔難を振り返ってみますと、すべて自分の人心がもたらしたものです。私は疑いもなく、師父のご加護がなければ、家から一歩踏み出せば、生命の危険に晒されると感じています。まさに師父がおっしゃったように、「次元を向上させること自体には、それほど難しいところはありません。人間の心捨てられないから、難しいと言うのです」[1]。

 私たちは、この目まぐるしく変化する世俗の中に深くはまり込んでしまっています。この万古の機縁をしっかりと掴み、人心を取り除き、大法に同化してこそ、自分の使命を汚さず、師父の慈悲なる済度に背かず、自分が幾千万年待ち続けた事も無駄にしないことになります。

 不当なところがあれば、慈悲をもって指摘して下さい。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』 
 [2] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟』「神の路難しく」
 [4] 李洪志師父の著作:『大法弟子とは何か』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/5/24/309789.html)
 
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