明慧法会:|3度も死の淵から救われた
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文/甘粛省の大法弟子

 【明慧日本2013年7月11日】明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会の原稿募集が始まったと知った時、自分の14年間の修煉を振り返ってみました。師父の慈悲なるご加護がなければ、私は今日まで生きていませんでした。私の生命とすべては師父がくださったものです。それを書こうと思いますが、自身の状態に妨げられます。私の体は不自由で長年寝たきりになり左の腕しか動かせず、生活のすべては母(同修)に面倒を見てもらっています。正念と人心が頭の中で激しくせめぎ合い、猛烈な頭痛を起こしてしまいました。

 その時、閉じている両目の間に、何かの力が突進してくると感じ、天目の中はだんだん明るくなり、脳裏に突然はっきりと「3回の命」の文字が現れました。一瞬、私は涙を流して、激しい頭痛は完全に消えてなくなりました。これは師父の教えで、私に3回生死の難関を乗り越えた経過を書き出すように啓示されているのだと思いました。

 一、「あなたの命は師父が延長してくださった」

 19歳で就職した私は2年の見習い期間を終え、本採用になってから長期休暇を取り家に帰りました。当時右足に力が入らず、いつも歩く途中で右足の力が抜けて地面に転がりました。数年間多くの病院を回ったのですが、病名と病因を突き止めることができませんでした。1980年代の末になると、西安医大が海外からMRI機器を輸入したと聞きました。弟は私を背負って、両親が信頼している大先輩に同伴してもらい、私達は列車に乗って西安に行きました。検査の結果、私の病気は「脊髄空洞症」といい、治療方法はなく家で静養するしかないと告知されました。

 医学に頼れないのを見て、それから母は観音を家に供えて、仏様に娘を助けてもらおうと仏教を信仰し始めました。私は仏教に好感を持っていたため、母について仏教を信仰するようになりました。地元の易経学会のある人が私の両親に「この子(私)は修煉者です。あるすごい人物がすでに出山して、間もなくこの人物はこの子を弟子にするでしょう」と教えました。

 修煉? それは出家することでしょうか? 私のような体ではどのように修煉するというのですか? しかし数ヵ月後、その易経学会の人は『轉法輪』と煉功音楽のテープをくれました。1998年前後、私と母は相次いで大法を修煉し始めました。

 人間が生きる本当の目的は返本帰真であると、学法してから分かりました。この時、母はやっと私の病気の真相を教えてくれました。実は私の病気は不治の病の中の不治の病で、西安で診た時に病院の専門家は「彼女は私の人生で診た第2例である、良い治療法はない」と断言しました。母は「李洪志師父があなたの命を救ってくださいました。数十年間も、あなたに大法を得させるために、師父はずっとあなたの命を延長してくださいました」と言い、私は泣き、母も泣きました。

 その時、師父の各地説法の録音があると知り、父、弟あるいは妹が必ず私を背負って、母と一緒に聞きに行きます。本当に忘れ難い歳月でした。

 二、私は師父の弟子である

 2002年、母は真相資料を貼ろうとした時に告発されて、公安局に連行されました。家に帰ってから、「610弁公室」、母の勤め先や自宅に人や警官らが来て母を監視し、家族らは大きなプレッシャーを感じていました。とうとう母は家を出て親戚の家に行きました。私も修煉状態が悪くなって、学法する時に眠くなり体も痒くなって、不眠もあり煉功も続けられなくなりました。そして、だんだん左側の臀部が潰爛して、最後に大きな空洞ができて肛門と通じるようになり、右腕は骨折した後にまた脱臼しました。更に苦痛だったのは、空腹の状態でも何かを食べるとすぐ息が苦しくなったことです。家族の心配、私と母の間の対立・・・本当に「百の苦一斉に降る 其の如何に活くかを看る」(『洪吟・苦其心志』)のようでした。

 その時に同修は私の頭の上方に金色の点からなった一本一本の帯が見えて、旧勢力がどのように私の体を迫害しているか見えていました。私は何度も部屋の中で回転している法輪を見たことがあり、師父がそばにおられるともっと信じるようになりました。私は発正念して旧勢力のすべての按排を否定し、師父の按排だけに従うと信念を固めました。

 しかし、時間が経つにつれて体調はますます悪化し、私は動揺して修煉者の正念を失いました。ぼうっとしている時に耳に旧勢力が言った「あなたはこの状態を抜け出せない、抜け出せない」という言葉が聞こえて、とても重いものに体に押えつけられたように感じて、息が苦しくなりました。危機な状況の中で、どこから来た力なのか分かりませんが、私は「私は師父の弟子だ」と叫んで、ついに下腹部に急スピードで回転する法輪を感じました。しばらくして頭がすっきりして、体も楽になりました。師父はまた私の代わりにどれほどの苦痛を耐えてくださったのでしょうか!

 同修達と交流したおかげで、学法して内に向けて探す中で、私はやっと自分の根本的執着を突き止めました。つまり体に対する心配です! 私は師父と大法をかたく信じるまで達していないため、ずっとその執着を切り捨てることもできませんでした。

 3ヶ月後、私の体は完全に回復しました。生死の難関を乗り越えた私を見て、家族と親戚、特に「彼女の余命は15日もない」と宣言したあの医者は、大法の素晴らしさに感動しました。皆が「お母さんはあなたの面倒を見るほか、一緒に煉功もしてくれて、本当に良いお母さんに恵まれましたね。我々はお母さんの優しさにとても感動しています」と言って、私は「母は、恐らく世の中で最も素晴らしい、最も苦労した母親です。自分が大法を修煉し、私にも大法を紹介してくれた母は偉大です。慈悲なる師父は私と母を、私の全家族を救ってくださったのです」と答えました。皆の師父と大法への敬虔と慕う気持ちに、母と私はたいへん感動しました。脱党運動が始まってから、彼らはみな「三退」をして、自分に最も良い選択をしました。

 三、「師父はまたあなたの命を救ってくださった」

 2010年、甥(弟の息子)が高校に進学しました。弟の家は甥の学校から遠く離れていました。一方、我が家は学校に近くて、また市の中心部にあり交通も便利なので、弟嫁はなんら事前の相談もせず、ある日から勝手に我が家に住み始めました。母と私は修煉環境を邪魔されただけでなく、家事の労力と経済負担も増えて、弟嫁は弟と喧嘩するとよく母に八つ当たりをします。毎回、母は弟嫁に「私は修煉途中の人なので間違いはきっとあります。指摘してくれれば直す努力をしますが、根拠のないことを口から出任せに言うのは、あなたにとって良くないことです」と優しい言葉をかけましたが、彼女は逆に「お母さんは修煉の事を言わないで。私は信じません」と言い放ちました。

 彼女の魔性を帯びた言葉を聞いて、私と母はとても辛かったのですが、一家の大黒柱の父は2005年11月に大法の修煉を始めてから、極力表面の和やかさを保とうとしています。母が修煉者の「忍」をやり遂げていないと言って母ばかりを責めて、母は心性を守れなくなった時には父と口論します。二人の口論を聞いて、私はよく自分を責めます。私は母に多くの苦労をさせて、私が原因で母は真相を伝えるために出かけることがほとんどできません。毎回のトラブルがこのような結末になって、毎回、私の心性は向上していません。

 その年の夏は珍しいほど暑くて、地表温度は42℃にも達しました。ある日、突然私は10数分間意識を失い、呼吸もほとんど停止しました。目が覚めると母に抱かれていました。家にいた同修はほっとしていました。父の顔色は蝋のような黄色で、沈黙しています。母は「10数分間、私はずっと師父、師父と叫んで、師父があなたを救ってくださったのよ!」と泣きながら言いました。それからの2日間、私を助けるために我が家に駆けつけてくれた5人の同修と両親は酷暑のなか、私のために長時間発正念して、私と交流もしました。同修達の無私無我の姿勢、および法理に対するはっきりとした認識に私は感動して、恥ずかしいとも思いました。

 私は勇気を出して、みんなに自分と弟嫁の因縁関係を教えました。昔、日本のある時代に、私の母(現世も私の母になった)は三人娘を産みました。私は長女で、次女は現世の私の妹で、修煉と生活においてずっと私を助けていました。末っ子は現世の弟嫁です。あの世で母はとても末っ子を甘やかして、末っ子は多くの悪習を身につけました。私は我慢できなくて彼女の悪行を母に告発すると、彼女は母に反省したふりをしながら、陰険に私の背中をひどく傷めます。傷口の痛みと心の中の恨みを私はなかなか忘れることができませんでした。現世、彼女の悪習は同じように現れて、それは私と母が最も許せない欠点でもあり、だんだん私の内心は無辺の悩みと悔しさでいっぱいになりました。彼女は大法に対する態度も悪くて……。表面上、今回私が倒れたのは酷暑のせいですが、実は本当の原因は弟嫁に対する恨みを私はずっと放下していなかったせいで、私の病気をひどくさせたのです。

 ある同修はこのように私に話しました。「相は心より生じます。家族に対する怨恨を放下するには、まず自我を放下してください。考えてみて、修煉者としていつまで経っても執着心を掴んで放下しないなら、心を痛めるのは師父で、喜ぶのは旧勢力なのです」彼の言葉はとても真摯で、私の心を一撃しました。私は突然『オーストラリア法会での説法』の中の言葉、「あなたは常人と同じように、トラブルに対処している時、既に常人と同じレベル、同じ境地におり、つまりあなたは既に常人の中に置かれてしまったということです。常人と同じでなくなった時になると、常人から抜け出したことになります。もちろん、その時の現れは寛容で度量があるのです。常人からこのように見られます。実はそれは修煉の中での皆さんの心性の所在の現れです。ですから、如何なる環境においても、如何なる情況においても、トラブルに遭った場合、善良の心、慈悲の心をもって全てに対処すべきです。自分の敵を愛することができなければ、圓満成就することはできません」、および『洪吟二・解大劫』の言葉、「多々なる人間の乱れ事 重々なる恩怨を経歴す 心悪しく業大にして望み無し 大法尽く淵源を解く」を思い出しました。師父は、私に3回目の命を下さったのです! しかし私はずっと自分の執着に溺れて悟りませんでした。前世から重なった弟嫁との怨恨が必ず解けますようにと、私は決心しました。

 生死の魔難を経験した後、学法の重要性、内に向けて探すことのより深い内包を私はいっそう理解できました。母も同じように感銘しました。修煉者が遭ったすべてのトラブルと魔難は、我々にとって解決しないといけない障害で、同時に自分自身を高める機会でもあります。「慈悲は能く天地の春を溶かし(『洪吟二・法正乾坤』)」なのです! 今まで私と母は法理の次元でなくて、常人の次元に立って家庭内のトラブルに対処したため、長期にわたり家庭内の紛争に陥って抜け出せなかったのです。私と母は修煉者と家族(常人)の関係を正しく対処し寛容な心でトラブルを処理できなくて、慈悲心を抱いて弟嫁に大法の真相を説明しておらず、かえって彼女を悪い淵に推しました。一方、旧勢力は彼女自身が持っている悪習を利用して、私と母の修煉を邪魔する目的を達成しました。私と母は本当に執着を除去して、現状を打破しないといけないところまで来たのです。

 悟ったことを母は素早く行動に移して、母を見て私も力が湧いて法の要求によってしっかりと行うようになりました。それから弟嫁は弟の前で母に怒鳴りつけても、母と私はずっと穏やかになって、弟嫁もだんだん怒らなくなりました。家庭の雰囲気は少しずつなごんでいき、弟は夕食を作るようになって、弟嫁も家事をし始めて、「修煉は個人の自由」と言って、大法の悪口を言わなくなりました。

 周囲の環境は本当に心によって変わります。少し家事から解放された母は毎晩私と一緒に法を暗記する時間を作れるようになって、今、私は週一回の大人数(6人)学法に参加するほか、ある女性同修は毎日我が家に来て、両親と私と毎日学法しています。母も彼女はまた週一回出かけて常人に真相を伝えたり、刑務所近くに行って中に不当に拘禁される大法弟子のために発正念をしたりします。本当に「修は己にありて、功は師にあり」と母はとても感激しました。今の私は心が充実して、明るくて幸せです。大法の中に溶け込んでから生じた敬虔と感謝がもたらした幸せ感です!

 2009年、同修は我が家に明慧ネットにアクセスする環境を整えてくれました。私はネットアクセス、ダウンロードなどをマスターして、明慧ネットと新唐人から多くのファイルと歌、ビデオをダウンロードでき、大紀元ネットに「三退」の名簿、明慧ネットに投稿を送れるようになりました。家の外に出られない私も、衆生済度のために自分なりに頑張っています。

 結語

 ある日の大人数学法の時、横たわってしか学法できない私に、ある同修は「いつになったらあなたは座って私達と学法できるのですか」と言いました。彼女を見詰めて、私の内心に以前の苦痛、コンプレックス、自分を責める気持ち、悔やみなどは少しもなくて、胸いっぱいに巨大な暖流に包まれています。私はとても真摯に「おばちゃん、私のことを放下してもらえますか? 師父は『修煉は路同じからず 都大法の中に在り 万事執着無ければ 脚下に路自ずから通ず(『洪吟二・阻む無し』)』とおっしゃったではありませんか。正念で私をご加持ください。師父は私を弟子として選んでくださった以上、きっと無辺の力で私を成就させることができます。私も日々よくなるように頑張ります」と言いました。

 再度、合掌して師父を感謝します! 私を助けてくれたすべての同修に感謝します!

 (明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/8/264800.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/12/18/136695.html)
 
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