労働局長が遼寧省女子刑務所で迫害され死亡 
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 【明慧日本2013年7月27日】遼寧省女子刑務所で2004年11月中旬のある日の午前2時過ぎ、目撃者が以下の場面を目にした。受刑者・張春娥が李凌さんをうつ伏せにした状態でベッドに押さえつけ、頭部に大きな掛け布団を覆い被せ、また掛け布団の上に枕を加え、張は両手で必死に枕を押さえ続けていた。

 錦州市古塔区の元の労働局長、法輪功修煉者・李凌さんは、このようにして窒息死させられた。享年51歳。明け方3、4時頃、体格のがっちりした女性受刑者が李さんの遺体を背負って運びだした。刑務所は「心臓病」で死亡したと李さんの家族を騙した。 

李凌
李凌

 1994年4月5日、法輪功の李洪志先生が錦州市へ法輪功を伝えられた時に、李さんは修煉を始めた。短期間で李さんの病気が消え、全身が軽くなった。李さんは「真善忍」の基準を自分に求め、社会や仕事の中の良くない言行を直した。 

 1回目の監禁で苦しめられて痩せこけ、危篤に陥る

 1999年10月26日、李さんは他の法輪功修煉者と一緒に天安門広場へ行き、「法輪大法は素晴らしい」の横断幕を広げた。そのため北京市公安局に連行され、家族に何も知らせない状況下で、懲役1年6カ月の判決を言い渡された。2000年4月、李さんは瀋陽女子刑務所に連行された。 

 刑務所は、各種の手段で李さんを転向させようとし、李さんの頭を混乱させた。李さんははっきりしていない状態で刑務所の要求に従った。2000年8月、李さんは意識を取り戻すと、彼らに「自分が書いたものはすべて破棄し、永遠に法輪大法と先生に学びます」と宣言した。 

 警官らは功績を認められて賞金を受け取ろうとするところだったため、李さんの行動に驚いた。そして警官らは、一方で李さんの精神に問題があると言いふらし、一方で中枢神経を破壊する薬物を投入した。李さんは頭痛が我慢できず、意識はもうろうとし、鉄筋の壁にぶつかった。大きな傷口ができて、血が流れたが、李さんは法輪功の修煉を続ける意志を変えなかった。

 刑務所は李さんを牢獄に閉じ込めた。牢獄は狭くて、2㎡しかなく、立ち上がれず、横にもなれず、足も伸ばせない。窓がなく、暗く湿っていて、食事と大小便はすべて中でさせられた。食事とは言え、ただ硬いトウモロコシ1個と蒸しパンが、鉄の門の手すりの中から渡されるだけだった。 

 警官は布団などは与えず、李さんの服を全部脱がして、湿っぽいセメント上に座らせた。24時間体制で6人の監視役が交替で李さんを眠らせず、法輪功と李洪志先生を中傷するように強要した。李さんは断食で迫害に抗議した。しかし、彼らは強制的に灌食を行い、従わない李さんは、無理に歯をこじ開けられてたため、口から血が流れて、歯が緩んでねじれた。

酷刑演示:灌食

拷問の実演:灌食される

 李さんは骨と皮ばかりに痩せこけて、疥癬(かいせん、伝染性皮膚病)がたくさんできた。2001年4月26日、期間満了となって解放された時は、すっかり様子が変わっていた。 

 2回目の監禁で死に至った 

 2002年5月28日晩8時、李さんは自宅から市第1留置場まで連行され、不当に懲役4年の判決を下された後、11月15日に再び遼寧女子刑務所に監禁された。刑務所の警官と監視役は前回と同じメンバーだった。

 警官は李さんに修煉を放棄させるため、昼に10数時間の労役を強制し、夜は受刑者に各種の手段で李さんを苦しませた。そして、刑務所の規則を暗記させ、長時間しゃがむ姿勢を強要し、罵ったり殴ったりして、李さんの人格を侮辱した。さらに、睡眠・トイレ・洗面・人との会話・面会・電話・買い物などは一切許されず、警官はいつも「お前は二度目だから、重点対象だ」と脅かした。 

 長期的に精神と肉体を苦しめられ、李さんの体は完全に崩れ、髪の大半は白髪になり、全身がむくんで、様子がまったく変わってしまった。 

 2004年11月中旬のある日の午前2時過ぎ、目撃者は以下の場面を目にした。受刑者・張春娥が李凌さんを伏せた状態でベッドに押えつけ、頭の部位に大きい掛け布団を覆い被せ、また掛け布団の上に枕を加えると、張は両手で必死に枕を押さえ続けた。李さんはまもなく窒息死した。

 李さんが迫害されて死に至った後、所属する監区のリーダーは異動した。郭乃娟は9監区へ異動し、徐曼は幹事に昇格し、安という幹事は課長になり、監区長・孫亜威がガンを患ったので、李紅衛が監区長に就任した。 

 李さんを窒息させた張春娥は、刑務所からの理用品1包み・インスタントラーメン1箱・パジャマを賞品としてもらった上で、減刑された。 

 法輪功修煉者・張菊賢さんは同刑務所で迫害され死亡 

 張菊賢さん(40代)は病院の看護婦で、2002年に8~9月頃に刑務所に監禁され、不当に4年の判決を下された。 

 酷刑演示:野蛮灌食

拷問のイメージ図:野蛮に灌食される

 2004年6月、張さんは断食で迫害に抗議したため、死人ベッドに縛り付けられ、強引に灌食された。張さんはずっと従わず、大きな声で「法輪大法は素晴らしい!」と叫んでいたが、警官は扇子の持ち手で張さんの口を力を入れて叩いた。 

 張さんの口は血だるまになり、饅頭のように腫れ上がった。暑い夏だったが、警官らは厚い布で張さんの頭をしっかり巻き付け、口、鼻と目だけを露出させた。 

 張さんはベッドの上に横たわって、まるで4本の棒を並べている様に、骨と皮ばかりに痩せこけた(目撃者が実際に目にした)。長期にわたって繰り返された迫害で、張さんの鼻、口もと、喉はすでにぼろぼろになった。刑務所の医者は「あいつは数日も生きられない」と言った。 

 ある日、警官・趙秀梅は扉の外で、張さんに向かって「お前は早く息を引き取ったらよかったのに! 死人服はとっくに用意できている、今日はあの世に出発しろ!」と罵った。 

 10月のある日の晩、張さんを病院から運び出す場面が目撃された。その時、張さんの体は白いシーツを被せられていた。事情を知っている人の話による、張さんはすでに死亡していたと言う。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/7/8/276392.html)
 
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