【明慧日本2013年10月6日】数年前、ある企業の副社長の招待で、その企業に関する法廷審理を見に行きました。行く前に副社長は「共産党の法廷審理の真実を見てみよう」と私に言いました。それは経済訴訟案件で、副社長の企業側は被告で、原告は他省のある企業でした。法廷に入ると、原告側と被告側の雰囲気の違いにすぐ気付きました。5、6人の原告側は皆心配そうで、不安な表情をしているのに対して、こちらの副社長は非常に平気そうな表情でした。
裁判官が法廷に入ってから、事件の経緯を大体述べた後、審理のステップに入りました。まず、裁判官は陰陰滅滅たる顔をして、原告にいろいろと質問しました。原告は毎回、裁判官の質問に返答する途中で裁判官に怒鳴られ、中断されたため、皆はもっと恐ろしく絶望的な表情をしました。ところが、裁判官は副社長の被告側に顔を向けた途端、先ほどの厳しい表情を変え、だいぶ優しくなりました。審理中、裁判官はずっと二つのまったく違う表情を切り替えて、原告側と被告側に顔を向けていました。証人が法廷に来ていなかったため、裁判の結果は当日に出されませんでした。審理が終わった後、原告側はみな裁判官を囲み、どうか損失を軽減してくれるよう、よろしくお願いしますと裁判官に哀願しました。
法廷を出て、私は「どのぐらいのお金を使って裁判官を買収できたのですか」と私は副社長に尋ねました。副社長は「その裁判官は私の大学の同級生だよ」と答え、「ただ、あいつは芝居が下手過ぎて、ばれちゃったな」と苦笑しながら言いました。「証人はなぜ法廷に来ていないのですか」と私は質問を続けました。副社長は「裁判官の提案で、証人を外地に行かせた。裁判結果が出されてから帰らせる。こうすれば、こっちの勝訴を確保できる」と答えました。
「百聞は一見にしかず」という諺は確かでした。中国共産党はずっと、「公平・公正・公開」な法廷審理を唱えていますが、実際は全くの虚言です。裁判官はただ、既に書かれた脚本に従って芝居をするだけです。審理の結果も既に決まっています。本当の罪人は芝居の裏に隠されています。それなのに、一般庶民は真相を知らず、まだ司法の公正を信じ込んでおり、本当に可哀相です。
その後、あんな所は汚いと思って、二度と法廷に行きませんでした。しかしある日、法輪功修煉者を公開審理するという噂を聞いて、私は傍聴に行きました。
多くの法輪功修煉者と同じように、私たちは早くに裁判所の入口で待っていましたが、結局法廷に入ることを許可されませんでした。傍聴に行った当事者の家族でさえ入口で止められました。武器を手に持った数え切れないほどの警官が法廷を囲んでおり、まるで戦争状態に入るような勢いでした。私服警官は撮影したり、人を逮捕したりして、とても忙しく動きまわっていました。何の武器を持っておらず、「真、善、忍」に従う数人の修煉者に対して、中共(中国共産党)当局は極度に神経質でした。
その日、法廷に入れなかったため裁判官の表現を目にしませんでしたが、しかし、法輪功修煉者に対する裁判官の悪表現は時々耳にしています。
ある弁護士は、当局が法輪功修煉者に対して行った拷問、自白強要、偽証拠の作成及び案件審理の手順が法律に違反したと非難すると、裁判官の指示で警官に法廷から追い払われました。法輪功修煉者が法廷で自分が拷問を受けた事実を述べていたとき、裁判官に荒々しく中断されました。弁護士が信仰の自由という法律条例を挙げて、法輪功修煉者は法律に違反しておらず、刑法に従い彼らに量刑を行ってはならないと指摘した時、裁判官は怒鳴り、「法律なんてわしに言うな! 我々は政治しか話さない!」と叫びました。また、「黙っていろ! お前も逮捕するぞ!」と弁護士を脅しました。冗談ではありませんが、確かに多くの弁護士はそのように法廷で逮捕されました。
以上のように、私は法廷審理を見てから、中共の司法が人を騙す芝居に過ぎないと分かりました。いわゆる「人民法院」は、中共が法律を名乗って人民を威圧する場所です。元々神聖である法律は、中共の踏みにじりによって、中共を保護する傘となり、人民を迫害し虐殺する道具になりました。法律で国を治めるというスローガンを掲げた中共は、実際は法律を破壊し、人民を虐殺する元凶です。このようなやくざな政権を、庶民はどうして信用することができるでしょうか。神様もずっとそのまま許してくださることはないでしょう。