偽りの「内に向けて探すこと」の現れ
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2014年1月9日】修煉者として、誰もが内に向けて探すことの大切さを知っています。しかし、私たちは実際にそれをやり遂げているでしょうか? ここ数年、私自身と周囲の同修から偽りの「内に向けて探す現象」をたくさん見てきたので、皆さんの参考のために、今日それを書き出します。

 一、「内に向けて探すこと」がただの口癖になってしまって、交流する時、発言では必ず「内に向けて探す」という表現を用いますが、実際にはまったく自分自身の不足について探しておらず、むしろ「外に向けて探して」、他の人の問題を指摘しています。

 二、「私はよく修煉できていない」を理由に、内に向けて探す努力をしていません。「よく修煉できていない」ということが、しっかり修めたくない、向上したくないことの口実になってしまい、各種の執着心をかばう傘になってしまい、真に内に向けて探すことを妨害しています。

 三、「内に向けて探す」ことが理論だけに留まっており、実際の行動に移していません。私に言わせれば、それは修煉の決意が足りないのです。もし修煉の意味、大法弟子になる機縁の有り難さ、師父が我々を済度することの難しさを存分に分かっていれば、このような現象はきっとなくなるでしょう。

 師父は『各地での説法九・二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』で、「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」と私たちに教えられました。では、内に向けて探すことを真にやり遂げて、着実に自分を修めましょう!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/12/31/284865.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/1/6/144231.html)
 
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