文/雲南省の大法弟子
【明慧日本2014年1月11日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは。
第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会に参加できて本当に光栄です。これは私の初めての法会への参加で、私の11年もの修煉のストーリーを皆さんと分かち合い、すべての同修とお互いに励ましあいたいと思います。
一、修煉を始めた時の体験
修煉を始めた時の私の体験は、ほかの同修とは違います。2000年7月、私は子供の誘拐売り飛ばし事件に引きずり込まれたために、山東省淄博市の留置場に監禁されました。そこで、私は幸運なことに、捕まえらえた法輪功修煉者から法輪大法を知りました。
実は、1999年「7.20」、テレビが法輪功を誹謗していた時、私は法輪功という三文字を聞いて、法輪功の事をいろいろ知りたいと思っていましたので、テレビで言っていたことを信じませんでした。留置場の中で、他の人とは違う人を見つけました。その人はいつもにこにこしており、全然恐れを感じておらず、何もないかのようなのに対して、他の受刑者はいつもしょんぼりと元気がなく、天を恨み人をとがめているのに、その人は違っていたのです。その人がちょうど私のそばで眠っていたので、どうして留置場に入れられたのか、聞きました。その人は法輪功を修煉しているということを教えてくれ、『洪吟』を覚えることを教えてくれました。その人が『覚者』という詩を暗誦した時、以前ある受刑者がこの詩を暗誦しており、「その詩は、どうしてこんなにうまく、誰が書いたのですか?」と、その人に尋ねたことを、私は突然思い出しました。その人は私には話してくれませんでした。しかし、この法輪功修煉者は、李洪志師父がお書きになったものだと教えてくれ、自分が暗誦しているすべての詩を教えてくれました。
28日後、この修煉者は家に帰りましたが、その後、また大法修煉者が捕まえられて入ってきて、覚えている『洪吟』の中の詩を、引き続き私に教えてくれました。このようにして、私は3カ月で『洪吟』の中の72編の全部の詩を暗誦することができました。その期間、ある同修が『洪吟』のすべての詩を順番に従って並べ替えてから暗誦して、私に聞かせてくれました。その同修が行ってしまった後、私は順序よく暗誦しました。そればかりでなく、さらに、師父の『論語』、『道法』、『博大』、『真修』、『佛教の論述は佛法の最も弱小な一部分である』、『内を修めて外を安定させる』、『悟』など、30から40の経文を、私は暗記しました。私の言葉はそこの土地では通じなかったので、経文を覚えることを私に教えるために、同修はみな、箸を折って石鹸に書き、私が覚えるなり、拭い取っていました。同修はさらに5セットの功法を教えてくれ、私は煉功して1カ月で両足で座禅が組めるようになりました。
私が留置場で修煉を始めて3カ月余り経った後、ある受刑者が刑務官に私が大法を学んでいる、と告げたのです。警察は私に、「ここの法輪功修煉者はどんな様子ですか?」と、私に尋ねました。私は「良い人間になり、他の受刑者の饅頭を奪わないで、譲り合わねばならないと、私たちに教えました」といいました。警察は私を大法修煉者から遠ざけ、悪口を言いながら、私を監獄室に移しました。再び、ある受刑者が告げ口をし、私が中で煉功している、と言ったので、その事を知ると、警察は私を蹴り上げ、もう修煉するなと私に警告しました。その時、善をもって受刑者と警察を動かしたくなり、私は静かに「真善忍」に従って自分に要求し、実際の行動で示したのです。
その後、私はまた別の監獄室に移されました。この監獄室に大法修煉者がいて、派出所で断食をしてもう1週間なので、留置場へ送られた後、警察はその大法修煉者に乱暴に灌食しました。私は心の中で「くれぐれも私に灌食をさせないように、こんなえげつない事をすると、どれくらい徳を失ってしまうだろうか? その上、大法修煉者がこんなひどい罪を負わされることはやめてほしい」と思いました。しかし、警察はすぐ私を指名しました。私はその時驚いて、「私はできない」と、ありのままに言いました。続いて、「彼女を説得しに行かせてください」と、私は警察に言いました。私とこの同修の時だけ、「私も法輪功を修煉しており、あなたにこの罰を受けてほしいとは思っていないので、ちょっとでも食べてください」と言いました。その同修は喜び安堵して軽く頷きました。ほどなくして、私は大法を学んだという罪のために懲役5年の判決を受け、山東省の刑務所に入れられました。
二、揺るぎない修煉への意気込み
入獄したばかりの時、私が入った監区では大法修煉者はまだおらず、というのは、監獄に入って来たばかりの人は全部、入監隊に送られなければならなかったからです。当時、入監隊では、私を含めて合計3人の、留置場で修煉を始めた同修がおり、今振り返って見ると、ちょっと不思議な気持ちがして、大法の果てしなさと玄妙さを深く感じました。私たちは留置場で修煉を始め、また、同じ入監隊になるよう、安排されていました。その中のある同修がその晩、入監隊で煉功しましたが、当直の受刑者に気づかれ、隊長に報告されました。隊長はその同修を蹴り上げて、その同修を帰らせたので、その同修を困らせたりはしませんでした。翌晩、「法煉功を習っているの?」と、私はその同修にこっそり尋ねると、留置場で修煉を始めたとすぐ私に話しましたので、「私もです」と言うと、その同修は感激しながら両手で私の手を握って、「私はずっとあなたたちを探していたのです」と言いました。それから、私たち3人はみな、また1つの監区に分けられました。
ある時、同じ監区の1人の受刑者が情に苦しんでいたので、師父の「做人」の中の詩の「情を為る者は自ら煩悩を尋ね・・」と暗誦しました。その他の受刑者は聞くなり、「これは法輪功だ」と言って、隊長に教えに走って行きました。隊長は私を呼んで、「法輪功をどう思うか?」と、私に尋ねました。「私が留置場で知っている法輪功修煉者はみな良い人です」と、私が言った後、修煉するかしないかを、隊長が私に尋ねた時、私は認めませんでした。後になって、夢を見たとき、私はたくさんの人とヒヨコを飼っており、まもなく、全部のヒヨコが死にましたが、ほどなくして、周りのヒヨコは再び生き返りましたが、ただ私のは生き返りませんでした。私は鍋蓋でヒヨコを覆っていたからだということを夢に見ました。目が覚めて、「この夢で、師父は私にいったい何を教え導こうとなさったのだろうか?」と、長い間考えていました。2、3日後、私は突然理解しました。他の同修が捕まえられて入ってきた途端、その人が大法修煉者だとみんなに分かり、私だけが認めず、私はまだ顔を覆っていたのです。こう思った時、私は決めました。隊長がまた私を呼んだら、私は法輪功を習っていると認めようと思って3分もしないうちに、隊長が訪ねてくると、受刑者がしらせに走ってきました。今回、私は留置場でいかに修煉したか、修煉の後、私の慢性胃腸炎、腕の長期的な冷えなどの症状が全部良くなり、私の心もまたどのように変わったのかということを全部、隊長に話しました。
それから、邪悟者が刑務所に来るたびに害毒を散らし、私たち3人の新しい修煉者は一緒に聞くように命じられました。聞いた後、「あなたたち3人は、一人一人体験談を書き、経済犯と誘拐犯は、まず自分たちの犯罪行為を書き、それから法輪功について300字以上で書くように」と、刑務所長が私たち3人に言いました。この時、私は法輪功を修煉して体がよくなった状況を書き、刑務所長たちの要求通りに書きませんでした。結論から言うと、その後、私はよくホールにうずくまるように命じられ、冬の夜、私をホールで一晩うずくまらせました。私が当時着ていたのは、とても薄着でしたが、その夜、師父の保護があり、私は暖かかっただけでなく、意外にも少し暑かったのです。
私と同じ監区の新しい同修と一緒に、私はよく暗記した法を念じ、その新しい同修が暗誦することができ、そして私ができないものを、その新しい同修は私に教え、私が暗誦できるものを私はその新しい同修に教えました。あの頃、私たちはこのように「集団学法」をしていたのでした。ある時、その新しい同修が覚えられない経文『内を修めて外を安定させる』を私は紙に書いてその新しい同修にあげましたが、警察に探し出され、同時に、別の監区で、また1人の受刑者が法輪功の修煉を始めた時、警察はまた私をとがめました。ある日、私を一間の室内へ呼び寄せ、入って行くと、警察はカーテンを仕切り、綿の服を脱ぐように言いました。何をしようとしているのか、私はまったく分からなかったのですが、2本の電気棒を私の身体に突きつけ、5、6人の警察が取り囲むと、すぐに「パチパチパチ」という放電音が鳴りました。私は電気ショックでのた打ち回り、警察にゴムまりのように蹴りまわされ、鼻血が地面一面に流れました。このように電気ショックを受けて大体1時間余りで、私はもう耐えられなくなり、理性を失いかけた時、保証書を書きましたが、「罪状への批判」は書きませんでした。
それからというもの、私の魔難はいっそう激しさを増し、毎日、どこかの班に残業があれば、夜通し働くように言われ、約1週間、夜に2、3時間しか眠れませんでした。その頃、続けていくつかの夢を見たのですが、師父が教え導いてくださっていると分かったので、私は暗記した法を念じ続け、最終的には、「たとえ私は死んでも法を持って行くつもりで、頭がなくなっても体はまだ座禅しており、死んでもよい、大法に対して申し訳のない事は、私はもう二度としません!」という一念を強くしました。ある日、私は再び事務室に呼ばれ、入って行くと、中にいた警察が私にコートを脱ぐように言いましたので、私は少しもためらわずに脱ぐと、警察はびっくりして、二言三言皮肉を言い、やがて、電気棒を持って私に電気を流そうとして、「怖くないか?」と聞いてきたので、「そんなことは恐れません!」と、私は大きい声で言いました。そして、正法の口訣を心の中で言いました。結局、私に電気を流すための電気棒は電気が流れず、警察は不思議に思い、壁に向かって試してみると、放電できますが、私に電気を流そうとするとすっかり電池がなくなってしまうのでした。「昨夜、充電したのに、なんで電池がなくなるんだ?」と、警察はぼそぼそ言いました。このように、師父の保護の下、師父に守られて、私は無事で病気もありませんでした。とても寒い日の夜に、罰のためにまたホールに放り出されたのですが、暖かさが続いたので、感動し、充実していました。
(続く)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/11/130037.html)