明慧法会|全体を形成し、全体の中で昇華する(一)
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本201411日】私は1995年に大法を得てから、今まで17年が過ぎました。17年間の修煉の中で体得したことを師父にご報告して、同修たちと交流したいと思います。

 一、同修を助ける中で、自分を昇華させる

 現地で私は比較的早く修煉を始めたので、19997.20以前は、現地の輔導員を担当していました。19997.20以降、私は4回も不法に拘禁されたことがあります。釈放された後、私は家を売って引っ越しましたが、結局、間もなく新しい住所も邪悪に知られてしまいました。私は再度引っ越して、恐れる心のために周囲の学習者と連絡しないようにしたので、集団学法の環境を失いました。

  2005年、私は近くに住む、ある年配の同修Aさんと知り合いました。Aさんも学法チームがあれば良いと望んでいたので、私とAさんは毎晩我が家で学法することにしました。夫(同修)に恐れる心があるため、家に来る同修をAさん一人だけに限定しました。しばらくして、私もAさんも一緒に学法をする効果はとても良いと感じました。地元の多くの学法チームはたいてい週に3回学法をしており、私たちのように毎日学法するチームはとても少なかったのです。だんだんと同修たちは次々と我が家に学法をしに来るようになり、我が家の学法チームは一つから複数にまで増えました。

 明慧ネットから昔の同修を呼び戻すことに関する交流文章を多く読んでいます。私も以前、輔導員を担当して多くの古い学習者を知っていたので、彼らを大法の中に呼び戻すことは自分の責任であると考えました。そのように考えただけで、師父は私が数人の同修に連絡するように按排されました。彼らはみんな一人ぼっちで学法をしていました。彼らの多くは夜の学法チームには参加できないが昼間は時間があるので、我が家に昼間の学法チームを増やしました。私たちは昼間に経文を学び、夜には『轉法輪』を読んで、定刻になったら発正念をします。その期間の学法を通して速く進歩したと実感しました。

 その過程で妨害もありました。母(同修)は我が家に昼も夜も多くの同修が出入りしているのを見て恐れる心が生じ、夫に自分の心配を伝えました。もともと恐れる心が強い夫はさらに心配して、同修にかんしゃくを起こしたり、言いがかりをつけたりしました。大量に学法をしたため、私は多くの法理を理解しました。理解してからの幸せと喜びは私の知恵を開いてくれ、夫にどのように怒られても私は心を動かさずに、『米国中部法会での説法』の中の「いかなる心も動じなければすべての変動を制することができます」と、『精進要旨』の中の「内を修めて外を安定させる」をもって、妨害を解体しました。

 具体的な対処方法というと、まず落ち着いて内に向けて探しました。旧勢力は私たちが全体を形成することを恐れており、母と夫に学法チームを邪魔するように指図しています。学法チームは師父が我々に残してくださった学法の方法で、誰もそれを妨害する資格はないはずです。しかし今、我々は実際に邪魔をされています。私は無条件に内に向けて探しました。相手の言動は自分の鏡でもあります。母と夫の恐れる心は鏡のように、私の思想の中の恐れる要素を映し出しました。なるほど、原因が分かって、私は素早く心を整えて、自分の中にある「恐れる」要素を徹底的に解体しました。夫と母も次元が向上して、同修たちを親切に受け入れるようになりました。この事を通して集団学法の大切さがいっそう分かりました。もし周囲に集団学法の環境がない場合、積極的に周囲の同修に連絡してそのような環境を作るように、同修の皆さんに提案したいと思います。

 ここで私たちのチームが如何に『洪吟三』を学んだかを取り上げてみます。チームのなかで『洪吟三』を一冊しか持っていなかった時、10数人が交代で読みました。年配の同修が読めない字を、私たちは辞書を調べて紙に書きます。一人ずつ『洪吟三』の詩を10数回読みました。それから、それぞれ自分の認識と理解を話して、とても良い効果を収めました。また、全員が毎日数首の詩を書き写して家に帰ってから暗唱しました。私たちのチームの最年長者は70歳を超えており、最も若い人は10代の中学生です。半月以内にチーム全員が『洪吟三』の詩、計52首を暗唱できるようになりました。その時の集団学法は、以降の全体的協力と全員の向上のために頑丈な基礎を築きました。

 二、難に陥った同修を助ける中で、自分の執着を除去する

 当地区の旧い学習者Lさんは、19997.20の時に迫害を恐れて修煉を放棄しました。8年間も放棄して、2008年にやっと大法に復帰しました。20124月、Lさんは心臓病で苦しむようになり、心臓移植を受けないと半年しか生きられないと診断されました。手術をせずに、家に帰ってしっかり学法するとLさんは決心しました。11月前後、Lさんは全身がむくんでいました。その後、彼女の学法チームの協調人が私を尋ねて、私たちのチームもLさんのための発正念に協力するようにと依頼してきました。私たちのチームは昼間にLさんの家に行って、夜、また彼女のチームが彼女の家に行って、発正念をして学法をしました。

 2012125日の夜、Lさんの娘さんと協調人が我が家に来て、Lさん自ら我が家の学法チームに参加したいことを私に伝えました。私が家にいる同修たちと交流すると、みなLさんを受け入れることに同意しました。間もなく車が到着して、Lさんが家に入った途端に夫はびっくりして、私を奥の部屋に呼んで、「こんな人を貴方はよく家に入れたね。万が一のことがあればどうするの? さっき、彼女の頭の上半分が無かったのを私は見たよ」と言いました。私は夫に「彼女に正念を送ってください。師父と大法があるので、きっと大丈夫です」と言いました。夫は奥の部屋から客間に出て、Lさんに「お姉さん、ここは私の家なので、安心してここにいてください」と言いました。自分の家に帰れば家族に強制的に病院に送り込まれてしまうかもしれないので、Lさんはその日から我が家に住むようになりました。

 当時、Lさんのむくみは相当ひどくて、2つの乳房がパンパンに腫れ、乳房の下の皮膚は張って血が出ていました。足、腰、胸、背中はすべてパンパンに硬く腫れて、体全体が10数センチも厚くなりました。頭と顔は大きくなって、見た目はとても怖いほどでした。ベッドに坐ったら、自力で足をベッドに持ち上げられず、私が手伝うとき、足がとても重いため、私の両手でも彼女の1本の足を持ち上げられませんでした。彼女は自分の服をとっくに着られなくなっていたので、私は夫のストレッチの半袖シャツを着せました。下半身も弾力性の高いメンズボクサーショーツしか穿けませんでしたが、暖房設備があり、冬場でも我が家は室内の温度が高いので、彼女はそれだけでも充分暖かかったのです。

 Lさんの体がこのようになったのは、邪悪に迫害されたに違いない、彼女は長年学法をしていないため、きっと法理が分からないところを邪悪に隙に乗じられたのだ、と私は考えました。それで、みんなは彼女と一緒に学法をして交流しました。私たちのチームは昼間に彼女と一緒に法を学んで、夜は他のチームが我が家に来て、24時間の発正念リレーを行いました。そのようにして、私達はとても強い全体を形成しました。

 中国東北地方の冬は極めて寒く、零下20度にもなりますが、同修たちは毎日とても遠いところから発正念のために我が家に駆けつけてくれました。職場から直接我が家に来て、夜が明ける頃にまた仕事に行かなければならない同修もいて、私は毎日彼らにご飯を作って食べてもらいました。我が家には昼も夜も常に20人以上の同修がいて、一緒に学法して発正念をしました。夫と息子はしばらく姉(同修)の家に泊まりに行きました。強い全体の中でLさんも向上して、食欲も蘇りました。彼女が食べたいと言ったら、私はすぐ作りました。我が家に来た最初、Lさんは夜はまったく眠ることができなかったので、姉がLさんを抱いてリラックスさせると、Lさんはやっと少し眠れました。実はLさんはすでに数カ月もちゃんと寝ていませんでした。Lさんはたいへん感動して、「精進しなければ、私を助けに来てくれた同修たちに申し訳がありません」と言いました。

 (続く)

 (明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/8/281179.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/21/143333.html)
 
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