母は刑務所に拘禁され、娘も重刑に
【明慧日本2014年2月3日】私は新彊ウィグル自治区ウルムチ市の修煉者で陳秀蘭(77)と言います。私と家族は法輪功を修煉するという理由で何度も当局に迫害されました。私は2008年に懲役5年の判決を言い渡され、長女の盛永宏(51)は21カ月の労働教養処分を科され、2012年5月に再度懲役5年の判決を言い渡されました。私がまだ釈放されない時、長女は再度刑務所に拘禁されました。そのプレッシャーで夫の盛克知は2012年2月に他界しました。
私は1996年5月に夫と一緒に法輪功を修煉し始めました。私たちは修煉してから、身体も心性も大きな変化がありました。夫は病気が完治したうえ、気性もよくなりました。
しかし、1999年の7.20以降、私たちは法輪功の無実を伝えるため、ほかの修煉者と2回上京して陳情したため、当地の警察に地元に連れもどされ、半月拘留されました。
2000年8月1日、夫は再度懲役2年の判決を言い渡され、新彊昌吉下巴湖労働改造農場に拘留されました。警察は夫に修煉を放棄するように強要しましたが、夫は妥協しませんでした。刑期満了後、警察は私たちに判決を下すといいふらしました。そのため、私たちはウルムチ市の娘の家に住むことに余儀なくされました。
2008年6月23日、私たち5人の修煉者が娘の家で学法した時、地元の国保(国家安全保衛)大隊の警察が押し入り、法輪功の関連書籍、法輪功創始者の写真、法輪功の徽章、お守り、真相資料および資料を作る器械を没収しました。さらに、唯一の生活費である500元を奪いました。私たちの給料は2002年から停止され、戸籍からも除名されました。夫はあまりの驚きで心臓病が再発しました。私たち4人は不当に連行され、私は懲役5年の判決を言い渡され、地元第二刑務所に拘留されました。それでも、警察は夫に対する嫌がらせを止めず、夫は正常な生活と修煉ができず、病状が現れました。
2011年11月下旬、長女は地元の政府に真相の手紙を出したという理由で国保に連行され、21カ月労働教養所に収容されました。上層部は刑罰が軽いと指示し、2012年5月5日、長女は懲役5年の重刑を言い渡され、地元第ニ刑務所で迫害を受けています。私が釈放されず、娘も重刑を延長されたため、夫は耐えられず2012年2月7日にこの世を去りました。