色欲を警戒する(一)
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 【明慧日本2014年8月15日】中国は古くから礼儀を重んじる国であり、東方文明の原点です。中国古代の聖人は人の道徳を非常に重んじていました。とりわけ性の関係については厳格に定めていました。これは約束ではなく、人類の保護の為だったのです。

 現代人は無知により、善悪には報いがあると信じなくなりました。古代の聖人が残した言葉を尊ぶことをせず、道徳水準は日に一瀉千里に堕落しています。特に性の問題については激しく腐敗しています。テレビで、インターネットで、街頭で、人々の交流の中で、情や色欲についてのメッセージが飛び交わない日はなく、人々はそれを当たり前だと感じています。まるで金銭や美女を求めるのは当然だと言わんばかりで、それ故に社会全体が金銭や性を追求するようになったのです。

 歴史的になぜ文献にある古代ギリシャ文明が滅びたのか見てみてください。文明後期において、人々の生活が腐敗し、堕落していったからです。ついには同性愛の風潮まで横行し、やがて滅びたのです。現在の堕落した人々はその根源を探そうとします。彼らは「文献にある文明にもこのような事はあった」と言いますが、しかしその文献が指し示す時代はすでにその文明が滅びようとしている時期だったのです。その先を見ると、すべて同様に滅びていったのです。

 佛は万物にはすべて佛性があると言います。善良な人は感動して聞き、みな良い方向へ転化しようとします。宋朝に黄山谷(庭堅)という有名な詩人がいました。彼は圓通秀という和尚に会った時に「詩の才をなぜこんなところに使うのか」と叱られました。この時、和尚はちょうど馬の絵に関して李伯時に苦言を呈していたので、黄山谷は「ならば私も馬に転生するのでしょうか」と冗談半分で尋ねると、和尚はこのように答えた。「伯時は馬を描いたことで来世、馬に転生するかもしれない。これは彼個人の話だ。しかしあなたが書いたそれらの詩は天下の人々の心に邪念を生ませてしまったら、馬に転生するだけでは済まない。地獄にだって落ちてしまうかもしれない」。黄山谷はこの話を聞いた後、恐怖と羞恥心を抱き、和尚に感謝を告げて別れ、以後作詩から離れました。

 色欲を戒めることの意味

 (一)健康・長寿

 色欲を戒めることは良好な生活習慣を作る事に強く関連します。たとえば、宋王朝に包宏齋という、丈夫な体を持った人がいました。彼は85歳の時に宰相になりました。賈似道は彼に何か健康の秘訣があるに違いないと思い、彼に教えを乞いました。包宏齋が「私には秘伝の丸薬がある」というので、賈似道は切実にそれを教えてくれるように頼み込みました。すると包宏齋はゆっくりと、「私は50年間女性に触れたことがない」と答えました。その場にいたすべての人はそれを聞いて愉快に笑いました。

(二)修德

 古人は、すべての悪の中で淫行が一番悪いと言っていました。人間が性に固執する時、彼は聖人君子と言えないどころか悪人となります。東でも西でもこれらに関する道徳水準はとても厳格に定められています。イエス・キリストは「姦淫してはならない。私はあなた方にただ教えます。女性を見て性的な感情を抱いたなら、この人はすでに姦淫を犯したと言えるのです」と言いました。仏陀の五大戒のなかにも「戒邪淫」というものがあります。中国古代の道徳水準はさらに厳格です。そのため、自らの道徳水準を高めたいのであれば、必ず色欲を戒める必要があります。

 もし善と悪には報いがある事を信じなければ、ただ健康・長寿の角度から色欲を戒めるだけならば、効果は非常に薄いです。因果関係から邪な色欲の巨大な危害を認識して、心から恐怖心を生じれば、色欲を戒めることができるようになります。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/6/16/275398.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/10/6/142555.html)
 
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