文/中国の大法弟子
【明慧日本2013年7月13日】大法の修煉者として、名利心は取り除かなければならない執着だとはっきりと分かっているので、気づいたらすぐに修めて取り除くようにしていました。しかし実際に修めている中で、名利心の背後に、往々として大変深刻な虚栄心と色欲が潜んでいることに気がつきました。それらの執着は大変卑劣で汚れているもので、正直な常人ですら口にしたくありません。そのため、ほとんどの人はそれらを隠蔽したり否定したりして、甚だしきに至っては表面上に滞っているままで、意識的か無意識的かに関わらず根本からこのことに気づいていません。それらの執着はまるで影のように付きまとっているので、次から次へと魔難を作りだしています。
最近、私もその被害者の一人だと気づきました。しかし同修に注意されるまでは、ずっと名利心の中で原因を探していましたが、奥に隠れていた色欲と虚栄心にまったく気づいていませんでした。そのため、邪悪が様々な手口を利用して、私に魔難を加えてくることを招いてしまいました。同修に明確に指摘され、初めて分かりました。そして、魔難の本質を見破ることができました。
同修は私の問題点について次のように指摘してくれました。「根源は『情』です。派生した名、利、色、虚栄などの中で、名、利を正視することはできますが、色、虚栄を直視することはなかなか難しいのです」
私は自分の問題点に気づいた直後、次のように同修に回答しました。「指摘された虚栄心と色欲に関しては正直に言って、今までは本当に直視することはできませんでした。かつて、その点についての教訓があった為、現在はそれらの執着が既に薄れていると思い込んでいました。それ故、『名』だけに目を向けていました。実はたくさんの問題が見つかりました。先天的なものかもしれません。または後天的に形成されてきた観念かもしれません」
千百年以来、中国人は「勉強をして功名を立てることが人生の最良の道だ」ということを信じてきました。学問は功名を求める為です。しかし功名を得られたと同時に利と欲も満たされるので、また執着を助長するのではないでしょうか?
今思えば、私の虚栄心は学生時代から既に表れていました。ずっと反抗的で俗世間に巻き込まれたくなかった為、自分は名利心が薄いと思い込んでいました。今になってから、それも名利心と虚栄心のもう一つの表現だと理解できました。その執着の働きにより、自分は風変わりになりたがっていました。他人から別扱いしてほしかったのです。実のところは自惚れ、誇示、つまり他人より一頭抜きん出たいと思う執着心でした。その中には異性の注目を集めたいという巨大な色欲もありました。想像上の楽しみに留めていましたが、実は巨大な思想業力が形成されていました。
ある同修は交流文章の中で、現在は最も深い奥に潜んでいる執着が表面に浮上してきています。私たちによって最終的に一掃されるのを待っていると言っていました。本当にそのようです。