遼寧省:6回不当連行された法輪功修煉者 迫害され失明
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 【明慧日本2013年12月15日】遼寧省営口市の法輪功修煉者・孫穎さん(78歳女性)は14年前、法輪功を学び始め、修煉によって健康を取り戻した。しかし、中共(中国共産党)政府が法輪功を迫害してからも、孫さんは法輪功の修煉を堅持したため、6回にわたって連行され、合わせて懲役9年の判決を言い渡された。刑務所の迫害で孫さんは心身ともに深刻なダメージを受けて失明してしまった。

 孫さんは直腸癌を患い1996年に手術をした。手術後、孫さんは右脳が問題を起こし、左足が不自由になったため、いろいろな治療法を試し、さまざまな薬を服用したが効果がなかった。しかし、幸運にも孫さんは法輪功に出会い、法輪功創始者の説法ビデオを3日間見て、不思議に薬を飲まなくても元気になった。当時、64歳の孫さんは若返ったかのように力が溢れて若者のように歩き、「法輪功と出会って、本当に幸せです」と、いつも嬉しそうに言っていた。

 それから、孫さんは法輪大法の教えである「真、善、忍」に従って、自分を要求し、毎日のようにしていた夫との喧嘩を止め、平穏な家庭を築き、家族10人も法輪功の修煉の道に入った。

 1999年7.20から、中共当局は法輪功への弾圧を開始した。10月2日、孫さんと長女、ほかの修煉者2人の4人は法輪功に着せられた罪を晴らすため、政府に説明をしようとして、北京に行こうとしたが、ホテルで向東化工場公安処の警官に連行され、行くことができなかった。3日後、4人は一緒に北京に行ったが、北京で警官に連行され、遼寧省朝陽市の北京駐在事務所に送られた。翌日、孫さんたちは地元に送還され、地元の凌源市拘留所に拘禁された。数日拘禁され孫さんは、解放されたが、長女の張月英さんは馬三家労働教養所に送られた。

 同年11月、孫さんは1人で北京に行き、天安門広場で「法輪大法は素晴らしい」と書かれた横断幕を広げ、「法輪大法は素晴らしい」と叫んだが、警官に天安門派出所に連行され、尋問を受けた。その後、孫さんは地元に送還され、留置場に2週間拘禁された。

 孫さんは帰宅した後、警官に昼も夜も騒ぎ立てられ、15回も家宅捜索を行われ、法輪功の関連書籍などの私財を没収され、6回凌源市留置場に拘禁された。

 2001年9月11日、孫さんは法輪功が迫害されている内容のチラシを配った際、向東化工場公安処の警官に連行され、公安処に一晩拘禁された後、凌源市拘留所に送られ、法輪功を誹謗中傷するビデオを強制的に見せられた。その1カ月後、孫さんは凌源市留置場に移送され、1年間拘禁された。

 2002年11月、凌源市裁判所は孫さんに懲役4年の実刑判決を下し、孫さんを大北刑務所に送り込んだ。

 刑務所で、孫さんは服を縫ったり、綿棒を作ったり、工芸品を作るなどの労働を毎日、13時間以上強いられ、労働を終えた後は法輪功を貶す本を読まされた。警官は孫さんに「お前が『転向』すれば、減刑してやる」と言ったが、孫さんは「私は『転向』しません。減刑してくれなくてもいいです」と言った。

 2005年9月11日、孫さんは刑期が満了して家に帰った。1年後、孫さんの家は遼寧省営口市に引越しした。

 2008年6月15日、地元公安局の国保(国家安全保衛)大隊の大隊長は警官6人を連れて、孫さんの家に不法侵入し、家宅捜索を行い、法輪功の関連書籍、法輪功が迫害されている内容のDVD、チラシなどを没収し、孫さんの次女夫婦(常人)を拘留所に連行した。その2週間後、孫さんは拘留所に行き、娘夫婦の釈放を求めたが、その場で連行され留置場に拘禁された。

 留置場で孫さんは警官に殴られ、皮靴で蹴られて、足があざだらけになった。留置場に7カ月間拘禁されていた孫さんは家族との面会を許されなかった。2008年12月23日、家族は留置場に足を運び、再三面会を求めたが、許されなかった。孫さんはすでに秘密裏に懲役5年の判決を下されたことを知った。

 2009年2月11日、孫さんは遼寧省女子刑務所に収容された。刑務所で孫さんは「転向」を強いられ、毎日13時間以上の労働を強要され、体罰、睡眠の剥奪、殴打などの迫害を受けた。

酷刑演示:銬在床上
拷問の実演:ベッドに縛られる

 刑務所での5年間の日々は、心身ともに苦しめられ、78歳の孫さんは今年6月29日、満期になって釈放されたが、帰宅して3カ月あまりして、失明してしまったという。

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2013/11/3/282184.html)
 
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