CNN:中国労働教養所から来た「SOS」 恐怖の真実
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 【明慧日本2013年12月15日】アメリカ有線テレビニュース専門放送局CNNで、2013年11月7日、Steven Jiang記者が「中国の労働教養所から来たハロウィンSOS 恐怖の真実」という記事を掲載した。ある法輪功修煉者は悪名高い遼寧省馬三家労働教養所で行われている受刑者に対する迫害、および奴隷労働の実態を、強制労働によって制作された製品の中に隠した。記事では、この助けを求める一通の手紙がはるばる海を渡って、オレゴン州の家庭にたどりついたストーリーを述べている。

ハロウィンのアクセサリーから発見された中共の労働教養所からの手紙

 オレゴン州のジュリー•キースさん(Julie Keith)の家の階段には、幾つかのカボチャが置かれ、廊下には去年レイアウトした3つの墓碑のアクセサリーがある。

 夫と2人の幼い子供と住んでいる43歳のキースさんは、毎年これらの装飾品を使いたいと感じていたが、これらの装飾品を作った人が残虐な拷問を受けて苦しめられていることを知り、とても悲しく思っている。キースさんが2011年に29ドルでKマートの店で買ったアクセサリーは、去年のハロウィン前に買ったもので、包装を開けると、手紙が落ちてきたという。

 手紙を書いた人は下手な英語で 「もしあなたが偶然この製品を買ったら、この手紙を世界人権組織に渡すよう手伝ってください。労働教養所にいる数千人は永遠にあなたに感謝し決してあなたを忘れません」と助けを求めていた。

 長時間労役と虐待

  手紙によると中国の馬三家労働教養所に拘禁されている人は、装飾品を作るために長時間の労役を科され、残虐な拷問の苦難に遭い、暴力を受け、罵られるなどの体罰を加えられている。

 「はじめはとてもびっくりして、これは本当なのかと思った」とキースさんは言う。彼女はリサイクルショップと寄付センターのプロジェクトマネージャーをしている。「私は手紙を読んだ後、ネットで探して、この手紙に書かれている事が本当のことだと認識しました。私は中国に労働教養所がある事を知って驚きました。この手紙を書いた人が労働教養所でまだ生きているかどうかわかりません。この手紙が中国からここまで来たことは、まったくの奇跡です」。

 キースさんは人権団体を見つけたが、何の反応もなかった。彼女はこの手紙をフェイスブックに掲載し、オレゴン州の新聞が一面でこの事を報道した。

 キースさんのストーリーは瞬く間に広く伝わり、国際ニュースになったことで、中共(中国共産党)の悪名高い労働教養所は関心の的になった。

  手紙の差出人・張さんの経歴

 ある日の朝、ダマスカスから約6千マイル遠く離れたところで、眼鏡をかけた中年男性がCNN北京駐在事務所に入った。地球の彼方の事を話し出した彼の声は、やさしく落ち着いているが、話を聞く人に度々、彼の受けた苦痛を感じさせた。

 彼は以下のように語った。「私はその装飾品を見ましたが、これらの製品は英語圏の国家に送られると思います」。「私はクリスマスを知っています。しかし私達が髑髏を作っていた時、ハロウィンについてあまり知りませんでした。しかし私は外の世界に、労働教養所で何が発生しているかを教えたいのです」。

 数カ月の調査を通じて、CNNはついに助けを求める手紙を書いた人を見つけた。彼はキースさんがハロウィンのアクセサリーの中に発見した手紙を、自分が書いたものだと言ったが、再び労働教養所に閉じ込められることを恐れて、CNNが彼を取材する時、彼の身分を暴露しないように求めた。

 「張さん」と称される差出人は法輪功修煉者で、2008年北京オリンピックの前に捕まえられ、馬三家労働教養所で2年半の再教育を言い渡された。彼は「馬三家労働教養所に行った事のない人にとって、そこの情況は想像できません。最初に彼らがする事は、あなたの尊厳を剥奪して、あなたを侮辱することです」と語った。

 張さんは労働教養所の中ではシステマチックに暴力が行われ、睡眠の剥奪と残虐な拷問が採用され、特に彼のような信念を放棄することを拒絶する人を苦しめており、細部についてはひどすぎて言葉で表現することはできないと述べた。

 秘密の情報

 彼は労働教養所の罪悪を暴露するため、こっそりと思想報告に使うノートから何枚かの紙をはがした。同郷の人で、彼の監視を担当していた軽犯罪者と友人になり、彼からボールペンの芯を得た。

 「私はそれをベッドの枠の中に隠し、夜遅くまで待って、すべての人が寝ついた後に書き始めました。労働教養所のすべての照明はずっと明るく、すべての監獄室で、1人の受刑者が当番で監視をしていました」。

「体を斜めにして壁に向かえば、監視人は私の背中しか見えないので、私は紙を枕の上に置いて、ゆっくり書くのです」。

 大卒の張さんはこの手紙を書くのに、2、3日かかったが、大きな危険と辛苦があった。「私はできるだけすべての場所を利用して書いたので、手紙ごとに少し異なるところがあります。ある手紙の中では緊急救助を求めSOSと書きましたが、ある手紙の中にはSOSと書いていません」。

 「私にとって、英語で手紙を書くのはとても困難でした。私は英語を学びましたが、一度も英語を話したこともなく、これぐらいの文字も書いたことがなかったのです。だから、私は手紙の中で、多くの文字を使って、私の英文ミスで、意味を誤解されることのないようにしました」。

 2008年、彼はそれぞれのハロウィンのアクセサリーの中に20通の手紙を隠し入れた。そして4年後、ついに一通の手紙が受け取られ、新聞のトップ・ニュースになった。

 労働教養所の中で

 10月下旬になると、馬三家の一帯は秋の景色になり、気温が急激に下がり、夜になると氷点下に近くなる。車を運転して町へ行くと、あたりはやせた農地と、安い広告の工場の建物ばかりだ。

 馬三家の所在する鎮は瀋陽市の近くにあり、もし労働教養所の悪名がなければ、ただ中国東北の辺鄙な工業地帯だ。瀋陽市は遼寧省にある人口800万人の工業都市である。

 2つの看板が鎮センターの入口にあり、1つは「遼寧省馬三家労働教養所」と書いてあるが、「所」の字が無い。もう1つは「遼寧省思想教育学校」と書いてある。

 中には3つの低い建物があり、管理事務室は白色、女性の囚人獄舎は大部分が赤色で、男性のそれは大部分がベージュである。高くそびえる青いコンクリートの壁や緑色の針金の柵が獄舎を取り囲み、すべての隅に監視塔がある。

 近くの村落からきた50歳の農民・劉華さん(音訳)は、看板のない表門を指して、 「ああ、彼らはすでに男子区域の前にある見張りの看板を取ってしまった。あちらの倉庫のような建物が、張さんのような人たちが労働する場所です」と語った。

 劉華さんとCNNの社員を載せたマイクロバスは監獄区の近くに止まり、彼女は追憶を始めた。

 劉華さんは柵の外に立って「私は建物の209号室に拘禁され、朝4時15分に起き、午前6時から昼頃まで仕事をして、30分の昼食とトイレに行く時間のあと、引き続き午後5時30分まで仕事をしました。もし仕事が多い場合は、真夜中まで仕事をしなければなりませんでした。もしも規定量を完成することができなければ、厳重に処罰されました」と語った。

 最後の囚人

 劉華さんは9月中旬、当局が最後の幾人かの受刑者を釈放したことを耳にした後、やっとここに帰った。当然、ここの施設は閉められていた。

 劉華さんは地方の役人による不法な土地収用に抗議するため、陳情に行き二度、馬三家労働教養所に拘禁され、2年半を過ごした。彼女が初めて拘禁された時、張さんもここに閉じこめられていたが、釈放された後、2人は会うチャンスがあった。劉華さんはイタリアへ売る羽毛ジャケットと韓国へ売るワイシャツを作ったことを思い出して、ぞっとした。重労働は彼女の健康を害した。

 彼女は 「私は生地のマッチング、材料の選別、緩い糸を切るなど、毎日7つの仕事を繰り返し、全部で約2400の工程がありました」と語った。

 劉華さんは血圧が高くて栄養状態が悪く、仕事をする時に卒倒したが、労働教養所は彼女の治療を拒絶した。警備員は受刑者に彼女を殴る命令を2度下し、プラスチック製の腰掛けと、たらいで彼女を酷く殴ったので、彼女は意識を失った。「しかし私は意識を回復した後も、必ず仕事をしなければならず、この場所は地獄でした」。

 労働教養所の恐怖を暴露

 去年4月、中国の雑誌『視覚』(Lens)、が劉華さんを含む10数人の女性受刑者を取材した長編文章「馬三家を出て行く」を発表した。塀の中の悲惨な光景、労働教養所の中の世間をぞっとさせる労役と生活環境、頻繁に行われた残虐な拷問など、馬三家労働教養所の悪名高い恐怖を実証している。

 中国の記者も、馬三家の前にいた2人の役人を取材した。馬三家はピーク時に5千人以上の受刑者を収容し、無償の労働力で約1億人民元の収入を得たという。

 文章の中では、米国のハロウィンの装飾品の中で発見された馬三家を告発する手紙に言及し、この労働教養所から送られた情報は、とても大きなセンセーションを引き起こしたとも指摘している。記者がある役人に尋ねた時、彼はその手紙が確かに馬三家の男性囚区から来たと証言した。

  数百の労働教養所

 馬三家はただ中国にある数百の労働教養所の中の一つにすぎない。

 労働教養制度は1957年に創立され、警察が軽微な犯罪、例えば泥棒や妓女、麻薬常用者を拘留して、審判を経ないまま、連続4年間まで拘禁できる制度である。国連人権フォーラムの2009年レポートの中で、中国にはこのような施設が320あり、全国で19万人を拘禁していると言っているが、実際には労働教養を受けている受刑者の人数はそれよりもずっと多い。

 長い間、当局は労働教養制度を濫用して異議者の口を塞いでいる。その中には政見の異なる人や人権活動家、法輪功修煉者が含まれている。

 浦志強弁護士は北京の弁護士であり、労働教養のシステムが今なお存在していることは、中国が依然として警察国家であると証明しているという。彼は労働教養システムを批判し、政府を批判する者のために弁護している。彼は 「労働教養システムは中国の憲法と法律、およびすでに締結した国際公約に違反しています。本当に危険なのは制約のない警察権力です」と言う。

  労働教養所は末路に向かう

 1年前の最高指導層の交代により、中共政権は最終的に、この論争のある労働教養システムを廃止するかもしれない。

 現在、遼寧省はこの避けられない結末のために準備しているようだ。中共のメディアは官吏の話を引用して、労働教養システムは新しい受刑者の受け入れを止めて、戒毒センターに改名し、従業員を減らすと述べている。

 オレゴン州のキースさんはこの手紙を発見した後、米国の税関職員に対し、アメリカ合衆国の連邦法律では奴隷労働による製品の輸入を禁止しており、政府の次の行動を待っていると伝えた。

 CNNはある女性スポークスマンが米国の移住局と税関の法律執行局に、このことに対して調査を行ったかどうかの検証について拒絶した。彼女は「これらの非難告発はとてもひどくて、高優先レベルの調査に属している。これらは米国企業の競争力にマイナスの影響が発生するだけではなく、同時に労働者を危険の中に置いている」と言っている。

 労働教養所の製品をヨーロッパ諸国に供給

 Kマートと合併したシアーズの店舗に、中国の労働教養所で作られた製品が現れることについて、「私達が調査する過程で、生産を労働教養所が請け負った証拠は発見されていない」としている。しかしこの会社は、もうここから仕入れをしないと表明した。

 張さんは馬三家労働教養所から釈放されたが、今なお悪夢の中におり、ひっそりと北京で生活している。去年、彼がすでに忘れていた手紙がキースさんによって発見され、ニュースになり、彼は他の人と同じように驚いている。彼は友人を通じてキースさんに手紙を出し、彼女の正義ある行動に感謝して、絶望の中にいる人々を助ける良い結果を実現した。しかし彼は、共産党の統治のもとでは中国自体が一つの大きな労働教養所に似ていると述べた。

 キースさんは「とても風刺的な意味があるですが、私の買ったアクセサリーの墓碑には偽の血のりがつけられていました。これらのアクセサリーを作る人は絶望の中で、(実際に)血生臭い苦難を受けています。今、私はショッピングをする時、ラベルを検査して、できるだけ私の必要でないものを買わず、特にそれが中国で製造されたものならば買わないようにしています」と語った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/9/282463.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/10/143119.html)
 
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